耳成の池し恨めし我妹子が
来つつ潜かば水は涸れなむ
- 歌の意味
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耳成の池が恨めしい。いとしい娘がやって来て身を沈めようとしたなら、水は涸れてしまえばよかったのに。
- 鑑賞
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巻第十六 有由縁并雑歌 3788
詞書「或いは曰く、昔三人の男有りて、同じく一人の女を娉ふ。娘子嘆息きて曰く、一女の身の滅び易きこと露の如く、三雄の志の平らぎ難きこと石の如しといふ。遂に池の上に彷徨ひ、水底に沈み没りぬ。時にその壮士ども、哀頽の至りに勝へず、おのもおのも所心を陳べて作る歌三首[娘子、字を縵児と曰ふ]」
娘子が身を投げた耳成の池を恨み、あの子が沈もうとしたときに水が涸れてくれればよかったのにと嘆く歌である。死を止められなかった無念を、池への恨みという形でぶつけている。
題詞によれば、三人の男に求婚された娘子が、自らの身を露にたとえ、男たちの心を石にたとえて嘆き、池に身を沈めたという。耳成の池は大和三山の一つ耳成山のふもとにあった池とされる。
作者は縵児に求婚した三人の壮士で、名は伝わらない。前の桜児の二首と同じ妻争いの物語を「或いは曰く」として並べたもので、二男一女と三男一女の物語が対になっている。
初句「耳成の池し」は、耳成山のふもとの池をいう。「し」は強意の副助詞で、恨みの対象をはっきりと名指ししている。
二句「恨めし」は、恨めしい、の意で、ここで句切れとなる二句切れの歌である。冒頭に感情を言い切り、続く三句以下でその理由を述べる構成である。
三句「我妹子が」は、いとしい娘が、の意である。前の二首の「桜」に対し、ここでは名を出さずに呼びかけており、名は次歌以下の「縵」で明かされる。
四句「来つつ潜かば」は、やって来て水に沈もうとしたならば、の意である。「潜く」は水中にもぐることで、娘子の入水を指す。
結句「水は涸れなむ」は、水は涸れてしまえばよかったのに、の意である。完了の「ぬ」の未然形に推量の「む」が付き、実際には起こらなかった願いを強く述べている。
かづく:水中にもぐる、水に沈む
わぎもこ:いとしい娘、妻や恋人を親しんで呼ぶ語
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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妹が名に懸けたる桜花咲かば 常にや恋ひむいや年のはに
- 次の歌
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あしひきの山縵の子今日行くと 我れに告げせば帰り来ましを