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あしひきの玉縵の子今日のごと
いづれの隈を見つつ来にけむ

歌の意味
玉縵の名を持つあの子は、今日の私のように、どこの物陰を見ながらここへやって来たのだろうか。
鑑賞
巻第十六 有由縁并雑歌 3790

詞書は前の歌に続き「おのもおのも所心を陳べて作る歌三首」
 娘子が死に場所を求めてこの池へ来るとき、どのような物陰を見ながら来たのだろうかと思いやる歌である。今日自分がたどっている道を、かつて娘子もたどったことに思いを致し、その孤独な最期をしのんでいる。
 三人の壮士のうちの一人の作で、三首の結びとなる。なお初句の「あしひきの」は本来「山」にかかる枕詞で、二句を「山縵の子」とする本文もあるが、ここでは「玉縵の子」とする訓読に従う。
 作者は縵児に求婚した三人の壮士で、名は伝わらない。前の桜児の二首と同じ妻争いの物語を「或いは曰く」として並べたもので、二男一女と三男一女の物語が対になっている。

 初句「あしひきの」は、前歌の第三千七百八十九首と同じ初句である。本来「山」にかかる枕詞だが、前歌の言い回しを受けて「玉縵」に冠している。
 二句「玉縵の子」は、娘子の名「縵児」を美しく言った呼び方である。「玉」は美称の接頭語で、前歌の「山縵の子」と言い換えの関係にある。
 三句「今日のごと」は、今日のように、の意である。今日この池のほとりをさまよっている自分の姿と、かつての娘子の姿を重ねている。
 四句「いづれの隈を」は、どこの物陰を、の意である。「隈」は道の曲がり角や奥まった所をいい、死を決めた娘子がたどった寂しい道筋を思わせる。
 結句「見つつ来にけむ」は、見ながらやって来たのだろうか、の意である。過去推量の「けむ」が、見ることのできなかった娘子の最期への思いやりを表している。

くま:道の曲がり角や奥まった所、物陰
たまかづら:つる草で作った髪飾りを美しく言う語。ここでは娘子の名「縵児」にかける
出典
万葉集
前の歌
あしひきの山縵の子今日行くと 我れに告げせば帰り来ましを
次の歌
死なばこそ相見ずあらめ生きてあらば 白髪子らに生ひずあらめやも