朝霞鹿火屋が下の鳴くかはづ
偲ひつつありと告げむ子もがも
- 歌の意味
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朝霞の中、鹿火屋の下で鳴く河鹿のように、私がずっとあなたを偲んでいると、告げてくれる人がいたらなあ。
- 鑑賞
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巻第十六 有由縁并雑歌 3818
詞書はなく、左注に「右の歌二首、河村王、宴居の時に琴を弾きて、すなはちまづこの歌を誦み、もちて常の行とす」とある
鹿火屋の下で鳴く河鹿のように、ひそかに慕い続けている気持ちを、相手に伝えてくれる人がいればよいのにと詠む歌である。声だけが聞こえる河鹿に、声に出せない恋心を重ねている。
左注によれば、河村王は宴席で琴を弾くとき、まずこの歌と次の歌を口ずさむのを常としたという。河村王自身の作というより、愛誦した歌と考えられる。
作者の河村王は伝未詳の王族で、宝亀年間に従五位下を授けられた河村王と同一人物とする説がある。
巻第十の第二千二百六十五首に「朝霞鹿火屋が下に鳴くかはづ声だに聞かば我れ恋ひめやも」があり、上の句をほぼ同じくする類歌である。
初句「朝霞」は、朝霞の立ちこめる、の意である。「鹿火屋」に冠して情景を整える語として置かれている。
二句「鹿火屋が下の」は、鹿火屋のもとの、の意である。「鹿火屋」は猪や鹿を追うために火をたく小屋をいう。
三句「鳴くかはづ」は、鳴く河鹿のように、の意である。初句から三句までが、四句の「偲ひつつ」を導く序詞となっている。
四句「偲ひつつありと」は、ずっと偲んでいると、の意である。八音の字余りで、絶えず慕い続ける思いの長さを感じさせる。
結句「告げむ子もがも」は、告げてくれる人がいたらなあ、の意である。「もがも」は願望を表し、前歌の第三千八百十七首の明るい恋とは異なる、秘めた恋の嘆きで二首を対照させている。
かひや:猪や鹿を追い払うために火をたく小屋
かはづ:カジカガエル。清流にすみ、美しい声で鳴く
- 作者
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河村王(誦詠)
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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かるうすは田ぶせの本に我が背子は にふぶに笑みて立ちませり見ゆ
- 次の歌
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夕立の雨うち降れば春日野の 尾花が末の白露思ほゆ