世間の繁き仮廬に住み住みて
至らむ国のたづき知らずも
- 歌の意味
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煩わしいことの多いこの世という仮の宿りに住み続けて、行き着くべき国へのよりどころもわからないことだ。
- 鑑賞
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巻第十六 有由縁并雑歌 3850
詞書は前の歌に続き「世間の無常を厭ふ歌二首」
煩いの多いこの世を仮の宿りとして住み続けながら、行き着くべき浄らかな国への手立てもわからないと嘆く歌である。前歌が悟りへの思いを詠んだのに対し、この歌は迷いの中にとどまる身の嘆きを述べている。
左注によれば、この二首は河原寺の仏堂の中に置かれた倭琴の面に書かれていたという。河原寺は大和国飛鳥にあった寺で、川原寺とも書く。この世を仮のものとみる思想は、聖徳太子の言葉と伝える「世間虚仮」にも通じる。
作者は伝わらない。
初句「世間の」は、この世の、の意である。仏教でいう、移ろいやすい俗世をいう。
二句「繁き仮廬に」は、煩いの多い仮の宿りに、の意である。この世を、仮に作った粗末な小屋にたとえている。
三句「住み住みて」は、住み続けて、の意である。同じ動詞を重ねて、迷いの世に長くとどまる様子を表している。
四句「至らむ国の」は、行き着くべき国の、の意である。浄土や悟りの世界を指す。前歌の第三千八百四十九首の「潮干の山」と同じく、迷いを離れた場所を示している。
結句「たづき知らずも」は、手立てもわからないことだ、の意である。本巻の第三千八百十二首の結句「たどき知らずも」と同じ言い回しで、恋の嘆きの句を無常の嘆きに用いている。
かりほ:仮に作った粗末な小屋、仮の宿り
たづき:手がかり、よりどころ
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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生き死にの二つの海を厭はしみ 潮干の山を偲ひつるかも
- 次の歌
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心をし無何有の郷に置きてあらば 藐孤射の山を見まく近けむ