心をし無何有の郷に置きてあらば
藐孤射の山を見まく近けむ
- 歌の意味
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心を無何有の郷に置いていたならば、仙人の住む藐姑射の山を見ることも近いだろう。
- 鑑賞
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巻第十六 有由縁并雑歌 3851
詞書はなく、左注に「右の歌一首」とある
心を何ものにもとらわれない無何有の郷に置くならば、仙人の住む藐姑射の山を見るのも遠くないと詠む歌である。『荘子』の思想を和歌に取り入れた、万葉集の中でも珍しい一首である。
無何有の郷と藐姑射の山は、いずれも『荘子』逍遥遊篇に見える語である。前の二首が仏教の無常観を詠んだのに続き、この歌は老荘の思想に基づく理想の境地を詠んでいる。
作者は伝わらない。
初句「心をし」は、心を、の意である。「し」は強意の副助詞で、心のあり方を問題にしていることを示す。
二句「無何有の郷に」は、何もない自然のままの理想郷に、の意である。『荘子』に見える語を音読みのまま和歌に取り入れている。
三句「置きてあらば」は、置いていたならば、の意である。六音の字余りで、仮定の条件を示している。
四句「藐孤射の山を」は、仙人の住む藐姑射の山を、の意である。これも『荘子』に見える語で、二句と対をなしている。
結句「見まく近けむ」は、見ることも近いだろう、の意である。「見まく」は「見む」のク語法で、推量の「む」で理想の境地への近さを結んでいる。前の二首が遠い境地への憧れを詠んだのに対し、心の持ち方一つで近くなると説いている。
むがうのさと:『荘子』の説く、何もない自然のままの理想郷
はこやのやま:『荘子』に見える、仙人の住む山
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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世間の繁き仮廬に住み住みて 至らむ国のたづき知らずも
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石麻呂に我れ物申す夏痩せに よしといふものぞ鰻捕り食せ