荒雄らは妻子の業をば思はずろ
年の八年を待てど来まさず
- 歌の意味
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荒雄は妻や子の暮らしのことを思わないのだろうか。八年もの年月を待っているけれど、帰って来ない。
- 鑑賞
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巻第十六 有由縁并雑歌 3865
詞書は前の歌に続き「筑前国の志賀の白水郎の歌十首」
荒雄は妻子の暮らしを思わないのか、八年も待っているのに帰って来ないと詠む歌である。帰らぬ夫を責めるような言葉の裏に、長い歳月を待ち続けた妻の深い悲しみがにじんでいる。
左注によれば、神亀年間に大宰府が筑前国宗像郡の宗形部津麻呂を対馬へ食糧を送る船の舵取りに任じた。老いて海路に耐えられない津麻呂は、志賀村の海人荒雄に交代を頼み、荒雄は兄弟より篤い友情から快く引き受けた。荒雄は肥前国松浦の美祢良久の崎から対馬へ船出したが、たちまち空が暗くなり暴風雨となって、海中に沈んでしまった。残された妻子が慕う思いに耐えかねてこの歌を作ったとも、筑前守山上憶良が妻子の悲しみを思いやって作ったともいう。
作者は左注に一説として示される山上憶良で、遣唐使に随行して唐に渡り、筑前守を務めた。人生の苦しみや家族への情を詠んだ歌で知られる。歌は荒雄の妻子の立場で詠まれている。
初句「荒雄らは」は、荒雄は、の意である。
二句「妻子の業をば」は、妻や子の暮らしのことを、の意である。「業」は生計、暮らしを立てる仕事をいう。
三句「思はずろ」は、思わないのだろうか、の意である。「ろ」は東国語や方言的な語調の助詞とされ、ここで句切れとなる。
四句「年の八年を」は、八年もの年月を、の意である。「八年」は長い年月をいう。
結句「待てど来まさず」は、待っているけれど帰って来ない、の意である。本巻の第三千八百六十一首と同じ結句で、そこでの一日の待ちが、ここでは八年の待ちへと尺度を広げて詠まれている。
なり:生業、暮らしを立てるための仕事
めこ:妻と子
- 作者
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山上憶良(一説)
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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官こそさしても遣らめさかしらに 行きし荒雄ら波に袖振る
- 次の歌
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沖つ鳥鴨とふ船の帰り来ば 也良の崎守早く告げこそ