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荒津の海潮干潮満ち時はあれど
いづれの時か我が恋ひざらむ

歌の意味
荒津の海には潮が干き、潮が満ちる定まった時があるが、私が恋しく思わない時などいつあろうか。
鑑賞
巻第十七 3891

詞書は前の歌に続き「天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、大納言に任ぜられ(帥を兼ぬること旧のごとし)京に上る時に、傔従等、別に海路を取りて京に入る。ここに羇旅を悲傷し、各所心を陳べて作る歌十首」
 荒津の海の潮には干満の時が定まっているが、自分の恋しさにはやむ時がない、と潮の満ち干に寄せて尽きない思いを述べた歌である。天平二年(730)、大宰帥大伴旅人が大納言に任じられて帰京した際、従者たちは陸路の旅人とは別に海路で都へ向かい、その旅の悲しみを十首に詠んだ。本歌は筑紫の港である荒津を出る際の作と見られ、旅立ちにあたって都や家を思う心を、目の前の海の動きと対比させて表している。
 作者は左注に姓名不詳とあり、旅人に従って海路を上った傔従の一人である。

 初句「荒津の海」の荒津は筑前国の港で、現在の福岡市中央区の西公園付近とされる。大宰府の外港として官人の発着に使われた地である。字余り(六音)である。
 二句「潮干潮満ち」は潮が干き、また満ちることで、「潮」を重ねて規則正しい干満のくり返しを表している。
 三句「時はあれど」は、潮には干く時と満ちる時の定まりがあるけれども、の意で、逆接の「ど」で下の句の恋心と対比させている。
 四句「いづれの時か」の「か」は反語の係助詞で、結句の「ざらむ」で結ぶ。どの時に恋しく思わないだろうか、いや、いつでも恋しい、という強い問いかけとなる。
 結句「我が恋ひざらむ」は、打消の「ず」の未然形「ざら」に推量の「む」の連体形が付いたもので、四句の「か」を受けて連体形で結ぶ係り結びである。潮の干満という定まった時と、時を選ばない恋心とが鮮やかに対置されている。

あらつ:筑前国の港の名。大宰府の外港
しほひ:潮が干くこと
しほみち:潮が満ちること
出典
万葉集
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我が背子を安我松原よ見わたせば 海人娘子ども玉藻刈る見ゆ
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磯ごとに海人の釣舟泊てにけり 我が船泊てむ磯の知らなく