大海の奥かも知らず行く我れを
いつ来まさむと問ひし子らはも
- 歌の意味
-
大海の果ても知らずに旅立って行く私に、いつお帰りになるのかと尋ねたあの娘子よ。
- 鑑賞
-
巻第十七 3897
詞書は前の歌に続き「天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、大納言に任ぜられ(帥を兼ぬること旧のごとし)京に上る時に、傔従等、別に海路を取りて京に入る。ここに羇旅を悲傷し、各所心を陳べて作る歌十首」
大海の果てもわからないまま旅立つ自分に、いつ帰って来られるのかと尋ねたあの娘のことが思い出される、と別れてきた女性を偲ぶ歌である。天平二年(730)、大宰帥大伴旅人が大納言に任じられて帰京した際、従者たちは陸路の旅人とは別に海路で都へ向かい、その旅の悲しみを十首に詠んだ。筑紫で親しんだ女性との別れの場面を回想したものと見られ、行く先の知れない旅の不安と、置いてきた人への思いとが重ねられている。
作者は左注に姓名不詳とあり、旅人に従って海路を上った傔従の一人である。
初句「大海の」は大きな海の意で、二句の「奥か」を修飾する。
二句「奥かも知らず」は前歌の第三千八百九十六首の結句「奥か知らずも」を受けた表現で、大海の果ても、旅の行く末もわからないまま、の意である。
三句「行く我れを」は、旅立って行く私に向かって、の意で、「を」は動作の対象を示す。
四句「いつ来まさむと」は娘子の問いかけの言葉で、「来ます」は「来」の尊敬語、「む」は推量である。いつおいでになるでしょう、と再会の時を尋ねている。
結句「問ひし子らはも」の「子ら」は親しみをこめて女性を呼ぶ語で、「ら」は接尾語である。「はも」は回想の詠嘆を表し、あの娘はどうしているだろう、という余情を残して結んでいる。
おくか:奥まった果て。行く末
こら:親しみをこめて女性を呼ぶ語
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
家にてもたゆたふ命波の上に 思ひし居れば奥か知らずも
- 次の歌
-
大船の上にし居れば天雲の たどきも知らず歌ひこそ我が背