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海人娘子漁り焚く火のおぼほしく
角の松原思ほゆるかも

歌の意味
海人の娘子が漁をするために焚く火がぼんやりとかすむように、角の松原がおぼろに思い出されることだ。
鑑賞
巻第十七 3899

詞書は前の歌に続き「天平二年庚午冬十一月、大宰帥大伴卿、大納言に任ぜられ(帥を兼ぬること旧のごとし)京に上る時に、傔従等、別に海路を取りて京に入る。ここに羇旅を悲傷し、各所心を陳べて作る歌十首」
 海人の娘子が漁で焚く火がぼんやりと見えるように、通り過ぎてきた角の松原がおぼろに思われる、と旅の景を回想した歌である。天平二年(730)、大宰帥大伴旅人が大納言に任じられて帰京した際、従者たちは陸路の旅人とは別に海路で都へ向かい、その旅の悲しみを十首に詠んだ。本歌は十首の結びにあたり、都に近い摂津の角の松原を、夜の漁火の幻想的な光景とともに心にとどめている。
 作者は左注に姓名不詳とあり、旅人に従って海路を上った傔従の一人である。
 左注に「右九首は作者の姓名を審らかにせず」とあり、第三千八百九十一首から本歌までの九首の作者は不明とされる。

 初句「海人娘子」は一連の冒頭の第三千八百九十首の四句「海人娘子ども」と同じ語で、十首の首尾が海人娘子によって呼応している。
 二句「漁り焚く火の」は夜の漁で魚を集めるために焚く火、すなわち漁火で、上二句が「おぼほしく」を導く序詞となっている。
 三句「おぼほしく」はぼんやりとして、はっきりしない様子を表し、漁火のかすむさまと、心に浮かぶ景のおぼろさとを掛けている。
 四句「角の松原」は摂津国の地名で、現在の兵庫県西宮市の津門付近とされる。冒頭の第三千八百九十首の「安我松原」と対応し、一連は松原に始まり松原で閉じられている。
 結句「思ほゆるかも」の「思ほゆ」は自然に思われる意、「かも」は詠嘆で、しきりに思われることだ、と結んでいる。

いざり:漁。特に夜、火を焚いて行う漁
つののまつばら:摂津国の地名。現在の兵庫県西宮市付近
出典
万葉集
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大船の上にし居れば天雲の たどきも知らず歌ひこそ我が背
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