梅の花み山としみにありともや
かくのみ君は見れど飽かにせむ
- 歌の意味
-
梅の花が山いっぱいに茂るほどあったとしても、これほどまでにあなたは見ても見飽きないのだろうか。
- 鑑賞
-
巻第十七 3902
詞書は前の歌に続き「大宰の時の梅花に追ひて和ふる新しき歌六首」
梅の花が山を埋めるほど咲いていたとしても、あなたはこのように見飽きることなく眺めるのだろうか、と梅を愛した人の心を思いやった歌である。天平十二年(740)十二月九日、大伴書持が、かつて天平二年(730)正月に大宰府の旅人邸で催された梅花の宴の歌、巻第五の第八百十五首から第八百四十六首までの三十二首に追和して作った六首の一つである。宴から十年を経て、その主であった父旅人もすでに世を去っており、往時の宴を偲ぶ心が底に流れている。梅花の宴に集った人々の、梅を見て飽きることのない愛着ぶりを偲んでいる。
作者の大伴書持は大伴旅人の子で、家持の弟である。天平十八年(746)に若くして世を去った。
左注に「右、十二年十二月九日に大伴宿祢書持作る」とある。
初句「梅の花」は前歌の第三千九百一首の三句を受け、梅の花を主題として掲げている。
二句「み山としみに」の「み」は接頭語、「しみに」は茂って、の意で、山いっぱいに茂るほどに、という誇張である。
三句「ありともや」は、あるとしても…だろうか、の意で、「とも」は逆接の仮定条件、「や」は疑問の係助詞で結句の「せむ」と係り結びをなす。
四句「かくのみ君は」は、このようにばかりあなたは、の意で、「君」は梅を愛でた宴の人々を指すと見られる。
結句「見れど飽かにせむ」の「飽かに」は飽かず、の意で、見ても見飽きないことにするのだろうか、と結ぶ。「見れど飽かぬ」は讃美の常套句で、本巻の第三千九百二十六首の「見れど飽かぬかも」にも通じている。
しみに:茂って。草木が密に生えて
- 作者
-
大伴書持
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
み冬継ぎ春は来たれど梅の花 君にしあらねば招く人もなし
- 次の歌
-
春雨に萌えし柳か梅の花 ともに後れぬ常の物かも