梅の花いつは折らじといとはねど
咲きの盛りは惜しきものなり
- 歌の意味
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梅の花を、いつなら折るまいなどと嫌がるわけではないが、咲き盛りの時だけは折るのが惜しいものだ。
- 鑑賞
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巻第十七 3904
詞書は前の歌に続き「大宰の時の梅花に追ひて和ふる新しき歌六首」
梅の花はいつでも折ることを嫌うわけではないが、咲き盛りの時はさすがに折るのが惜しい、と花を愛惜する心を述べた歌である。天平十二年(740)十二月九日、大伴書持が、かつて天平二年(730)正月に大宰府の旅人邸で催された梅花の宴の歌、巻第五の第八百十五首から第八百四十六首までの三十二首に追和して作った六首の一つである。宴から十年を経て、その主であった父旅人もすでに世を去っており、往時の宴を偲ぶ心が底に流れている。花を折ってかざす宴の習わしを前提に、盛りの花を惜しむ心を理屈めいた言い回しで表している。
作者の大伴書持は大伴旅人の子で、家持の弟である。天平十八年(746)に若くして世を去った。
左注に「右、十二年十二月九日に大伴宿祢書持作る」とある。
初句「梅の花」は六首に繰り返される主題で、ここでは折る対象として示される。
二句「いつは折らじと」は、いつなら折るまいと、の意で、「じ」は打消の意志を表す助動詞である。
三句「いとはねど」の「いとふ」は嫌がる、避けるの意で、嫌がりはしないけれども、と逆接で下に続ける。
四句「咲きの盛りは」は、花の咲き盛りの時は、の意で、「は」がその時に限ってという対比を示す。
結句「惜しきものなり」の「なり」は断定の助動詞で、惜しいものである、と言い切っている。次歌の第三千九百五首は花を「折りかざし」て楽しむ心を詠み、本歌の折り惜しむ心と対をなしている。
いとふ:嫌がる。避ける
- 作者
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大伴書持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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春雨に萌えし柳か梅の花 ともに後れぬ常の物かも
- 次の歌
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遊ぶ内の楽しき庭に梅柳 折りかざしてば思ひなみかも