橘は常花にもが霍公鳥
住むと来鳴かば聞かぬ日なけむ
- 歌の意味
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橘がいつも咲いている花であればよいのに。そうすれば霍公鳥が住みついて来て鳴き、その声を聞かない日はないだろう。
- 鑑賞
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巻第十七 3909
詞書「霍公鳥を詠む歌二首」
橘がいつも咲く花であってほしい、そうすれば霍公鳥が住みついて鳴き、聞かない日はないだろう、と橘と霍公鳥への思いを詠んだ歌である。天平十三年(741)四月二日、奈良の旧宅にいた書持が、新都恭仁京に出仕していた兄家持に贈ったもので、家持はこれに答えて本巻の第三千九百十一首以下の三首を返している。
作者の大伴書持は大伴旅人の子で、家持の弟である。天平十八年(746)に若くして世を去った。
左注に「右、四月二日に大伴宿祢書持、奈良の宅より兄家持に贈る」とある。
初句「橘は」の橘は柑橘の一種で、初夏に白い花を咲かせ、霍公鳥と取り合わせて詠まれることが多い。
二句「常花にもが」の「常花」はいつも咲いている花、「もが」は願望を表す終助詞で、いつも咲く花であってほしい、の意である。ここで句切れとなる。
三句「霍公鳥」は初夏に渡来して鳴く鳥で、橘の花に宿るものとされた。
四句「住むと来鳴かば」は、住みつこうとやって来て鳴いたならば、の意で、未然形に「ば」が付いた仮定条件である。
結句「聞かぬ日なけむ」は、聞かない日はないだろう、の意である。家持の返歌の第三千九百十一首は「鳴かぬ日はなし」と結び、弟の仮定に対して、恭仁京ではすでに鳴かない日はないと答えている。
とこはな:いつも咲いている花
たちばな:柑橘の一種。初夏に白い花を咲かせる
- 作者
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大伴書持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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たたなめて泉の川の水脈絶えず 仕へまつらむ大宮ところ
- 次の歌
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玉に貫く楝を家に植ゑたらば 山霍公鳥離れず来むかも