- 歌の意味
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霍公鳥よ、どういう心なのか。橘の花を玉として貫く五月に限って、やって来て鳴き響かせるのは。
- 鑑賞
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巻第十七 3912
詞書は前の歌に続き「橙橘初めて咲き、霍公鳥飜り嚶く。この時候に対ひて、なにそ志を暢べざらむ。よりて三首の短歌を作りて、もちて鬱結の緒を散らさまくのみ」
霍公鳥はどういう心で、橘の花を薬玉に貫く月を選んでやって来て鳴き響かせるのか、と霍公鳥に問いかけた歌である。天平十三年(741)四月三日、新都恭仁京で内舎人として仕えていた家持が、奈良の旧宅から霍公鳥の歌を贈ってきた弟書持(本巻の第三千九百九首と第三千九百十首)に答えた三首の一つである。弟の歌に詠まれた橘を受け、花の季節を知って鳴く霍公鳥の心を不思議がるように讃えている。
作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
左注に「右、四月三日に内舎人大伴宿祢家持、久邇京より弟書持に報へ送る」とある。
初句「霍公鳥」は呼びかけで、次歌の第三千九百十三首も同じく「霍公鳥」で歌い起こしている。
二句「何の心ぞ」は、どういう心なのか、と問いかける句で、ここで切れる。理由を下の句で示す倒置の構成である。
三句「橘の」は弟書持の第三千九百九首の初句「橘は」を受けている。
四句「玉貫く月し」は橘の花を薬玉として糸に通す月、すなわち五月を指す。「し」は強意の副助詞である。
結句「来鳴き響むる」の「響む」は声を響かせる意で、連体形で結ぶ連体止めである。問いの答えを言い切らず、余情を残している。
とよむ:声や音を響かせる
たまぬくつき:花を薬玉に通す月。五月
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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あしひきの山辺に居れば霍公鳥 木の間立ち潜き鳴かぬ日はなし
- 次の歌
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霍公鳥楝の枝に行きて居ば 花は散らむな玉と見るまで