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新しき年の初めに豊の年
しるすとならし雪の降れるは

歌の意味
新しい年の初めに、豊作の年であることを前もって示すというのであるらしい、雪が降っているのは。
鑑賞
巻第十七 3925

詞書は前の歌に続き「天平十八年正月、白雪多く零りて地に積むこと数寸なり。時に左大臣橘卿、大納言藤原豊成朝臣と諸王諸臣等とを率て、太上天皇の御在所(中宮の西院)に参入りて、仕へ奉りて雪を掃く。ここに詔を降して、大臣参議并せて諸王は大殿の上に侍はしめ、諸卿大夫は南の細殿に侍はしめ、すなはち酒を賜ひて肆宴したまふ。勅して曰く、汝ら諸王卿等、聊かにこの雪を賦して各その歌を奏せよ、と。葛井連諸会、詔に応ふる歌一首」
 新年の初めに雪が降っているのは、今年が豊作の年になることを前もって示しているのだろう、と雪を瑞兆として寿いだ歌である。天平十八年(746)正月、数寸の雪が積もった日に、左大臣橘諸兄が諸王諸臣を率いて元正太上天皇の御在所に参上し、雪掃きの奉仕をした。その後に催された酒宴で、詔に応じて雪を題に詠まれた歌の一つである。年の初めの雪は豊年の兆しとされており、その考えに基づいて新春の宴を祝福している。
 作者の葛井諸会は渡来系の氏族である葛井氏の官人で、伝は詳らかでない。
 左注には、このほかに藤原豊成をはじめ十八人が詔に応じて歌を奏したが、その時に書き留めなかったため失われたと記す。また秦朝元は歌を詠むことができず、橘諸兄に麝香をもって償えと戯れられて黙ってしまったという逸話も伝えている。

 初句「新しき」は「あらたしき」と読み、新しい、の意である。
 二句「年の初めに」は新年の初め、正月のことである。
 三句「豊の年」は豊作の年のことで、農耕を基とする国の繁栄を寿ぐ語である。
 四句「しるすとならし」の「しるす」は前兆として示す意、「ならし」は「なるらし」のつづまった形で、示すというのであるらしい、と推定している。ここで句切れとなり、根拠を結句に後置する倒置の構成である。
 結句「雪の降れるは」は、雪が降っているのは、の意である。巻第二十の巻末の第四千五百十六首の「新しき年の初めの初春の今日降る雪のいや重け吉事」も新年の雪を吉事として寿いでおり、同じ考え方に立つ歌である。

しるす:前兆として示す
とよのとし:豊作の年
作者
葛井諸会
出典
万葉集
前の歌
山の狭そことも見えず一昨日も 昨日も今日も雪の降れれば
次の歌
大宮の内にも外にも光るまで 降れる白雪見れど飽かぬかも