大宮の内にも外にも光るまで
降れる白雪見れど飽かぬかも
- 歌の意味
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大宮の内にも外にも光り輝くほどに降り積もった白雪は、いくら見ても見飽きないことだ。
- 鑑賞
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巻第十七 3926
詞書は前の歌に続き「天平十八年正月、白雪多く零りて地に積むこと数寸なり。時に左大臣橘卿、大納言藤原豊成朝臣と諸王諸臣等とを率て、太上天皇の御在所(中宮の西院)に参入りて、仕へ奉りて雪を掃く。ここに詔を降して、大臣参議并せて諸王は大殿の上に侍はしめ、諸卿大夫は南の細殿に侍はしめ、すなはち酒を賜ひて肆宴したまふ。勅して曰く、汝ら諸王卿等、聊かにこの雪を賦して各その歌を奏せよ、と。大伴宿祢家持、詔に応ふる歌一首」
大宮の内にも外にも光り輝くほどに降り積もった白雪は、見ても見飽きることがない、と宮廷の雪景を讃えた歌である。天平十八年(746)正月、数寸の雪が積もった日に、左大臣橘諸兄が諸王諸臣を率いて元正太上天皇の御在所に参上し、雪掃きの奉仕をした。その後に催された酒宴で、詔に応じて雪を題に詠まれた歌の一つである。応詔歌の最後に置かれ、宮殿を照らす雪の輝きを讃美の常套句で結び、宴の歌を締めくくっている。
作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
左注には、このほかに藤原豊成をはじめ十八人が詔に応じて歌を奏したが、その時に書き留めなかったため失われたと記す。また秦朝元は歌を詠むことができず、橘諸兄に麝香をもって償えと戯れられて黙ってしまったという逸話も伝えている。
初句「大宮の」は宮殿、ここでは太上天皇の御在所を指す。
二句「内にも外にも」は宮殿の内側にも外側にも、の意で、雪があまねく降り積もるさまを表す。
三句「光るまで」は、光り輝くほどに、の意で、本巻の第三千九百二十三首の「光りを見れば」と同じく雪の光を讃えている。
四句「降れる白雪」の「降れる」は存続の助動詞「り」の連体形を含み、降り積もっている、の意である。
結句「見れど飽かぬかも」は、見ても見飽きないことだ、という讃美の常套句である。本巻の第三千九百二首の「見れど飽かにせむ」や第四千一首の「見れども飽かず」とも通じる。
おほみや:宮殿の尊称
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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新しき年の初めに豊の年 しるすとならし雪の降れるは
- 次の歌
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草枕旅行く君を幸くあれと 斎瓮据ゑつ我が床の辺に