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ぬばたまの夢にはもとな相見れど
直にあらねば恋ひやまずけり

歌の意味
夢ではしきりに逢うけれど、じかに逢うのではないので、恋しさはやまないことだ。
鑑賞
巻第十七 3980

詞書は前の歌に続き「恋緒を述ぶる歌一首并せて短歌」の反歌
 夢ではしきりに逢うけれども、じかに逢うのではないので恋しさはやまない、と夢と現実との隔たりを嘆く歌である。天平十九年(747)三月二十日の夜、家持が都に残した妻への恋情をにわかに起こして詠んだ長歌に添えた反歌である。長歌では、大君の命で越中に下ってから年が改まり、春の花が移ろうまで逢えず、夢には見ても現実には逢えない恋しさが積もったこと、霍公鳥の鳴く月になったら近江路を経て奈良の家に帰り、門に立って待つ妻に早く逢いたいことが詠まれている。長歌の「夢には見れどうつつにし直にあらねば」を受け、夢で逢えるだけにかえって募る恋しさを述べている。
 作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
 左注に「右、三月二十日の夜裏に、忽ちに恋情を起こして作る。大伴宿祢家持」とある。

 初句「ぬばたまの」は夜や夢にかかる枕詞である。
 二句「夢にはもとな」の「もとな」は、むやみに、しきりに、の意で、思いがけず何度も夢に見ることを表す。
 三句「相見れど」は、逢うけれども、の意で、逆接で下に続く。
 四句「直にあらねば」は、じかに逢うのではないので、の意で、長歌の「うつつにし直にあらねば」と同じ表現である。
 結句「恋ひやまずけり」は、恋しさがやまないことだ、の意で、「けり」は気づきの詠嘆である。次歌の第三千九百八十一首は夢に見える理由を詠み、二首が夢をめぐって連なっている。

ただに:じかに。直接に
いめ:夢
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
あらたまの年返るまで相見ねば 心もしのに思ほゆるかも
次の歌
あしひきの山きへなりて遠けども 心し行けば夢に見えけり