- 歌の意味
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二上山に鳴く鳥の声が恋しく思われる季節がやって来たことだ。
- 鑑賞
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巻第十七 3987
詞書は前の歌に続き「二上山の賦一首(この山は射水郡に有り)」の反歌
二上山に鳴く鳥の声が恋しく思われる季節がやって来た、と夏の到来を感じ取った歌である。天平十九年(747)三月三十日、家持が興に任せて作った「二上山の賦」の長歌に添えた反歌である。「賦」は中国の文学の形式名を借りたもので、本巻の「布勢の水海に遊覧する賦」「立山の賦」と合わせて越中三賦と呼ばれる。長歌では、射水川がめぐる二上山は、春の花の盛りにも秋の黄葉の時にも、神の山だから貴く、山だから見たく思われ、その裾の渋谿の崎の荒磯に寄せる波のように、昔から今まで見る人ごとに心にかけて賞でるだろうと讃えている。春の終わる三月三十日の作で、明日から夏となる時にあたり、二上山に鳴く鳥、とりわけ霍公鳥の声を待つ心がうかがえる。
作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
左注に「右、三月三十日に、興に依りて作る。大伴宿祢家持」とある。
初句「玉櫛笥」は美しい櫛箱の意で、その「蓋」から「二上」にかかる枕詞である。土師道良の第三千九百五十五首も同じ枕詞で二上山を詠んでいる。
二句「二上山に」は越中国府の北にそびえる山で、長歌で讃えた山である。
三句「鳴く鳥の」は二上山に鳴く鳥で、季節から霍公鳥を思わせる。
四句「声の恋しき」は、声が恋しく思われる、の意である。
結句「時は来にけり」は、その季節がやって来たことだ、という気づきの詠嘆である。第三千九百二十一首の「月は来にけり」と同じく、季節の到来を感じ取った結び方をしている。
たまくしげ:二上、明く、開くなどにかかる枕詞
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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渋谿の崎の荒磯に寄する波 いやしくしくにいにしへ思ほゆ
- 次の歌
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ぬばたまの月に向ひて霍公鳥 鳴く音遥けし里遠みかも