白波の寄せ来る玉藻世の間も
継ぎて見に来む清き浜びを
- 歌の意味
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白波が寄せて来る玉藻の節のように、この世の続く間も、絶えず見にやって来よう、この清らかな浜辺を。
- 鑑賞
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巻第十七 3994
詞書「敬みて布勢の水海に遊覧する賦に和ふる一首并せて一絶」の一絶
この世のある限り、絶えず見にやって来よう、白波が玉藻を寄せるこの清らかな浜辺を、と布勢の水海の景を讃えた歌である。天平十九年(747)四月二十六日、池主が家持の「布勢の水海に遊覧する賦」に追和した長歌に添えた短歌で、題詞ではこれを漢詩の絶句になぞらえて「一絶」と呼んでいる。長歌では、藤が散り卯の花の盛りに霍公鳥が鳴く季節、思う者どうし馬を連ねて出かけ、渋谿の荒磯の玉藻を蘰にして、布勢の水海に海人の舟を漕ぎ出し、秋は黄葉、春は花の盛りに、君の心のままにこのように見て心を晴らそうと詠んでいる。
作者の大伴池主は越中掾として守の家持を補佐した官人である。家持と同族で漢詩文にも通じ、越中時代の家持と多くの歌や書簡を交わした。
左注に「右、掾大伴宿祢池主作る(四月二十六日追和)」とある。
初句「白波の」は浜辺に寄せる白波で、海辺の景を描き起こしている。
二句「寄せ来る玉藻」は波に寄せられて来る美しい藻で、上二句は玉藻の「節(よ)」の意から三句の「世」を導く序詞となっている。
三句「世の間も」は、この世の続く間も、の意で、字余り(六音)である。
四句「継ぎて見に来む」は、引き続いて見にやって来よう、の意で、家持の第三千九百九十二首の結句「見つつ偲はむ」に答えている。
結句「清き浜びを」は、清らかな浜辺を、の意で、見に来る対象を倒置によって後から示している。
たまも:藻の美称
はまび:浜辺
いちぜつ:漢詩の絶句一首になぞらえた短歌の呼び名
- 作者
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大伴池主
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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布勢の海の沖つ白波あり通ひ いや年のはに見つつ偲はむ
- 次の歌
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玉桙の道に出で立ち別れなば 見ぬ日さまねみ恋しけむかも