玉桙の道に出で立ち別れなば
見ぬ日さまねみ恋しけむかも
- 歌の意味
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旅の道に出て行って別れたならば、逢わない日が重なって、恋しく思われることだろう。
- 鑑賞
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巻第十七 3995
詞書「四月二十六日、掾大伴宿祢池主の舘にして、税帳使守大伴宿祢家持に餞する宴の歌并せて古歌四首」
旅の道に出て別れたならば、逢わない日が重なって恋しく思われるだろう、と送別の宴で別れを惜しんだ歌である。天平十九年(747)四月二十六日、正税帳使として都へ上る家持のために、掾の池主の館で催された送別の宴の歌の一つである。旅立つ家持の側から、残る人々への名残惜しさを詠んでいる。
作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
左注に「右の一首は大伴宿祢家持作る」とある。また本文の四句以下には「見ぬ日久しみ恋しけむかも」とする異伝が注記されている。逢わない日が長いので恋しいだろう、の意で、日数の多さではなく長さに重きを置いた形である。
初句「玉桙の」は道にかかる枕詞である。
二句「道に出で立ち」は、旅の道に出て行って、の意である。
三句「別れなば」は、別れたならば、の意で、本巻の第三千九百八十九首の「立ち別れなば」と同じく送別の宴での仮定の表現である。
四句「見ぬ日さまねみ」の「さまねし」は数が多い意で、「み」は理由を表すミ語法である。逢わない日が多いので、の意となる。異伝では「見ぬ日久しみ」とする。
結句「恋しけむかも」は、恋しく思われることだろう、の意である。次歌の第三千九百九十六首の結句「寂しけむかも」と同じ形で呼応し、送る側と送られる側の思いが向き合っている。
たまほこの:道にかかる枕詞
さまねし:数が多い。度重なる
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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白波の寄せ来る玉藻世の間も 継ぎて見に来む清き浜びを
- 次の歌
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我が背子が国へましなば霍公鳥 鳴かむ五月は寂しけむかも