我が背子が国へましなば霍公鳥
鳴かむ五月は寂しけむかも
- 歌の意味
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あなたが都の方へいらっしゃってしまったら、霍公鳥の鳴く五月はさびしいことだろう。
- 鑑賞
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巻第十七 3996
詞書は前の歌に続き「四月二十六日、掾大伴宿祢池主の舘にして、税帳使守大伴宿祢家持に餞する宴の歌并せて古歌四首」
あなたが都へ行ってしまったら、霍公鳥の鳴く五月はさびしいことだろう、と送る側から別れを惜しんだ歌である。天平十九年(747)四月二十六日、正税帳使として都へ上る家持のために、掾の池主の館で催された送別の宴の歌の一つである。家持と共に楽しむはずの霍公鳥の季節を、家持のいない寂しさとして先取りしている。
作者の内蔵縄麻呂は越中介(国司の次官)を務めた官人である。
左注に「右の一首は介内蔵忌寸縄麻呂作る」とある。
初句「我が背子が」は親しい男性への呼びかけで、家持を指す。
二句「国へましなば」の「国へ」は故郷の方へ、ここでは都へ、の意で、「ます」は尊敬の補助動詞である。いらっしゃってしまったならば、の意となる。
三句「霍公鳥」は初夏の鳥で、家持が愛した鳥でもある。
四句「鳴かむ五月は」は、霍公鳥が鳴くであろう五月は、の意で、次歌の第三千九百九十七首にも同じ句が置かれている。
結句「寂しけむかも」は、さびしいことだろう、の意で、前歌の第三千九百九十五首の「恋しけむかも」と対応している。
さつき:陰暦五月
ます:いらっしゃる。尊敬を表す
- 作者
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内蔵縄麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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玉桙の道に出で立ち別れなば 見ぬ日さまねみ恋しけむかも
- 次の歌
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我れなしとなわび我が背子霍公鳥 鳴かむ五月は玉を貫かさね