我が宿の花橘を花ごめに
玉にぞ我が貫く待たば苦しみ
- 歌の意味
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我が家の花橘を、花ごと玉として私は貫く。実になるのを待っていては苦しいので。
- 鑑賞
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巻第十七 3998
詞書は前の歌に続き「四月二十六日、掾大伴宿祢池主の舘にして、税帳使守大伴宿祢家持に餞する宴の歌并せて古歌四首」、また「石川朝臣水通の橘の歌一首」
実がなるのを待つのは苦しいので、我が家の花橘を花のまま玉として貫く、と待ちきれない心を詠んだ歌である。天平十九年(747)四月二十六日、正税帳使として都へ上る家持のために、掾の池主の館で催された送別の宴の歌の一つである。ただし本歌は宴の作ではなく、石川水通の古歌として主人の池主が伝え誦したものである。家持の「玉を貫かさね」に応じるように披露され、送別の宴に古歌の興を添えている。待つことの苦しさを詠む歌であり、恋の思いを託したものとも読める。
作者の石川水通は朝臣の姓を持つ官人であるが、伝は詳らかでない。
左注に「右の一首は、伝へ誦するは主人大伴宿祢池主なりと云ふ」とある。
初句「我が宿の」は、我が家の庭の、の意である。
二句「花橘を」は花の咲いた橘で、本来は五月にその実を薬玉に貫いた。
三句「花ごめに」は、花も含めて、花のままで、の意で、実を待たずに花ごと貫くことをいう。
四句「玉にぞ我が貫く」は「ぞ」と連体形「貫く」による係り結びで、玉として私は貫く、の意である。字余り(八音)である。前歌の第三千九百九十七首の「玉を貫かさね」に応じる句となっている。
結句「待たば苦しみ」は、待っていたならば苦しいので、というミ語法で、理由を倒置によって後から示している。
はなごめ:花も含めて。花のままで
たまにぬく:糸に通して玉にする
- 作者
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石川水通
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我れなしとなわび我が背子霍公鳥 鳴かむ五月は玉を貫かさね
- 次の歌
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都辺に立つ日近づく飽くまでに 相見て行かな恋ふる日多けむ