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立山に降り置ける雪を常夏に
見れども飽かず神からならし

歌の意味
立山に降り積もっている雪を、夏の間ずっと見ていても見飽きない。神の山だからであるらしい。
鑑賞
巻第十七 4001

詞書「立山の賦一首并せて短歌(この山は新川郡に有り)」の反歌
 立山に降り積もった雪は、夏の間ずっと見ていても見飽きることがない、それは神の山だからであるらしい、と立山を讃えた歌である。天平十九年(747)四月二十七日、上京を前にした家持が立山を讃えた長歌に添えた反歌で、越中三賦の一つである。長歌では、越の国には山も川も多いが、統め神の領く新川の立山には夏の間も雪が降り敷き、その麓をめぐる片貝川の清い瀬に朝夕立つ霧のように思いの消えることはなく、通い続けて毎年仰ぎ見て、万代の語り草としてまだ見ぬ人にも告げよう、と讃えている。夏にも消えない雪の神々しさを、神の本性によるものとして讃美している。
 作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
 左注に「四月二十七日 大伴宿祢家持作る」とある。

 初句「立山に」は「たちやま」と読み、現在の立山連峰を指す。越中の国の東にそびえる霊山である。
 二句「降り置ける雪を」は、降り積もっている雪を、の意である。池主の和した第四千四首も「立山に降り置ける雪の」と、初句から三句までほぼ同じ句で答えている。
 三句「常夏に」は、夏の間ずっと、の意で、長歌の「常夏に雪降り敷きて」を受けている。
 四句「見れども飽かず」は讃美の常套句で、本巻の第三千九百二十六首の「見れど飽かぬかも」とも通じる。ここで句切れとなる。
 結句「神からならし」の「から」は本性、性格の意で、神の山の本性によるのであるらしい、と推定している。池主の第四千四首は「神ながらとぞ」と、この結句に答えている。

たちやま:越中国の山。現在の立山
とこなつ:夏の間ずっと
かむから:神の本性。神であるがゆえ
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
都辺に立つ日近づく飽くまでに 相見て行かな恋ふる日多けむ
次の歌
片貝の川の瀬清く行く水の 絶ゆることなくあり通ひ見む