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立山に降り置ける雪の常夏に
消ずてわたるは神ながらとぞ

歌の意味
立山に降り積もった雪が、夏の間ずっと消えずにあるのは、神の御心のままだからということだ。
鑑賞
巻第十七 4004

詞書「敬みて立山の賦に和ふる一首并せて二絶」の一絶
 立山に降り積もった雪が夏の間ずっと消えずにあるのは、神の御心のままであるからだという、と家持の歌に和して立山を讃えた歌である。天平十九年(747)四月二十八日、家持の「立山の賦」に池主が和した長歌に添えた短歌二首の一つである。長歌では、朝日のさす中にそびえ、白雲の千重を押し分けて天にそびえる立山は、冬夏の区別なく雪が降り置いて、古くからある岩の神々しさは幾代を経たのか知れず、その峰から落ちたぎつ清い河内には朝ごとに霧が立ち、夕べには雲がたなびくと讃え、行く水の音もさやかに、川が絶えない限り万代に言い継ごう、と結んでいる。家持の反歌の第四千一首とほぼ同じ句で歌い起こし、その結句に答える形で神の山を讃えている。
 作者の大伴池主は越中掾として守の家持を補佐した官人である。家持と同族で漢詩文にも通じ、越中時代の家持と多くの歌や書簡を交わした。
 左注に「右、掾大伴宿祢池主和ふ(四月二十八日)」とある。

 初句「立山に」は家持の第四千一首の初句と同じ語である。
 二句「降り置ける雪の」は、第四千一首の「降り置ける雪を」の助詞を「の」に替えた句で、上の句全体を家持の歌に重ねて唱和の心を示している。
 三句「常夏に」も第四千一首の三句と同じ語で、夏の間ずっと、の意である。
 四句「消ずてわたるは」の「消ず」は消えないで、「わたる」は時を過ごす意で、消えずにずっとあるのは、の意である。
 結句「神ながらとぞ」は、神であるままに、神の御心のままに、の意で、「とぞ」の下に「言ふ」などが省略されている。第四千一首の結句「神からならし」に答え、推定を確信へと言い換えている。

かむながら:神であるままに。神の御心のままに
く:消える
作者
大伴池主
出典
万葉集
前の歌
片貝の川の瀬清く行く水の 絶ゆることなくあり通ひ見む
次の歌
落ちたぎつ片貝川の絶えぬごと 今見る人もやまず通はむ