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うら恋し我が背の君はなでしこが
花にもがもな朝な朝な見む

歌の意味
心から恋しいあなたが、なでしこの花であればよいのに。そうすれば毎朝見ることができよう。
鑑賞
巻第十七 4010

詞書は前の歌に続き「忽ちに京に入りて懐を述ぶる作を見るに、生別の悲しび、腸を断つこと万廻、怨緒禁め難し。聊かに所心を奉る一首并せて二絶」の一絶
 心から恋しいあなたがなでしこの花であったなら、毎朝見ることができるのに、と別れを惜しむ歌である。天平十九年(747)五月二日、上京を前にした家持の第四千六首と第四千七首に答えて、池主が贈った長歌に添えた短歌二首の一つである。長歌では、奈良を離れた鄙の地でもあなたを見ていれば心を晴らせたのに、大君の命で旅立てば、残る私が悲しいのか、旅行くあなたが恋しく思うのか、と嘆き、言葉に出すのも忌まわしいので砺波山の手向けの神に幣を奉り、あなたが無事に巡り帰って、月が改まったらなでしこの花の盛りに逢わせてくださいと祈っている。家持が池主を玉にたとえたのに答えて、池主は家持をなでしこの花になぞらえ、残る側から毎朝めでたいと願っている。
 作者の大伴池主は越中掾として守の家持を補佐した官人である。家持と同族で漢詩文にも通じ、越中時代の家持と多くの歌や書簡を交わした。
 左注に「右、大伴宿祢池主の報へ贈る和へ歌(五月二日)」とある。

 初句「うら恋し」の「うら」は心の意で、心の底から恋しい、の意である。
 二句「我が背の君は」は親しい男性への呼びかけで、家持を指す。
 三句「なでしこが」は初夏に咲く花で、長歌の結びの「なでしこが花の盛りに相見しめとぞ」を受けている。
 四句「花にもがもな」は、花であったらよいのに、の意で、ここで句切れとなる。家持の第四千七首の「玉にもがもな」を「花」に替えて答え、旅行く者は相手を玉として身につけ、残る者は相手を花として庭に見るという対をなしている。
 結句「朝な朝な見む」は、毎朝毎朝見よう、の意で、なでしこを庭に植えて朝ごとにめでることを思っている。

うらごひし:心から恋しい
あさなさな:毎朝。朝ごとに
作者
大伴池主
出典
万葉集
前の歌
玉桙の道の神たち賄はせむ 我が思ふ君をなつかしみせよ
次の歌
矢形尾の鷹を手に据ゑ三島野に 猟らぬ日まねく月ぞ経にける