- 歌の意味
-
鶯が今にも鳴くだろうとひたすら待っていると、霞がたなびいて、月日は過ぎていくばかりだ。
- 鑑賞
-
巻第十七 4030
詞書「鴬の晩く哢くを怨むる歌一首」
鶯が今にも鳴くだろうとひたすら待っているのに、霞がたなびくばかりで月日が過ぎていく、と鳴くのが遅い鶯を恨んだ歌である。左注はないが、前後の配列から家持の作と見られる。越中の遅い春のなかで、鶯の初音を待ちわびる心を詠んでいる。
作者の大伴家持は大納言大伴旅人の子である。天平十八年(746)に越中守となって五年を越中で過ごし、のちに少納言、因幡守などを歴任して中納言に至った。万葉集の編纂に深く関わったと考えられている人物である。
初句「鴬は」は春を告げる鳥で、待ちわびる対象として示されている。
二句「今は鳴かむと」は、今にも鳴くだろうと、の意である。
三句「片待てば」の「片待つ」はひたすら待つ意で、已然形に「ば」が付いた確定条件である。霍公鳥の鳴かないことを恨んだ第三千九百八十三首と同じく、越中で鳥の声を待ちわびる心を詠んでいる。
四句「霞たなびき」は春霞がたなびいて、の意で、春の深まりを示している。
結句「月は経につつ」は月日が過ぎていくばかりだ、の意で、「つつ」で言いさして待ち続ける心の余韻を残している。
かたまつ:ひたすら待つ
うぐひす:春を告げる鳥。鶯
- 作者
-
大伴家持(推定)
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
珠洲の海に朝開きして漕ぎ来れば 長浜の浦に月照りにけり
- 次の歌
-
中臣の太祝詞言言ひ祓へ 贖ふ命も誰がために汝れ