古典和歌stream

藤波の咲き行く見れば霍公鳥
鳴くべき時に近づきにけり

歌の意味
藤の花が次々に咲き進んでいくのを見ると、ほととぎすが鳴くはずの時期に近づいたのだなあ。
鑑賞
巻第十八 4042

詞書は前の歌に続き「時に、明日布勢の水海に遊覧せむと期し、仍りて懐を述べて各作る歌」
 藤の花が咲き進むのを見て、ほととぎすの鳴く季節が近づいたことを知ると詠む。藤とほととぎすの取り合わせは万葉集によく見られ、晩春から初夏への季節の移りを、花と鳥の両方でとらえている。
 作者の田辺福麻呂は造酒司の令史で、左大臣橘諸兄の使いとして越中を訪れた。宮廷を讃える長歌を得意とした万葉集後期の歌人である。
 左注に「右の五首は田辺史福麻呂」とある。次歌の第四千四十三首は家持がこの歌に和したもので、明日の布勢の藤にほととぎすが来て鳴くかどうかを案じている。

 初句「藤波の」藤の花房が風に揺れるさまを波に見立てた語である。前歌の梅の花から藤へと、花が移っている。
 二句「咲き行く見れば」「咲き行く」は次々に咲き進むこと。「見れば」は已然形+ばで、見ると、という確定条件を表す。
 三句「霍公鳥」初夏を告げる鳥として、藤の花と取り合わせて詠まれる。
 四句「鳴くべき時に」「べき」は当然の助動詞で、鳴くはずの時、つまりほととぎすの季節をいう。
 結句「近づきにけり」「に」は完了、「けり」は詠嘆の助動詞で、季節の移りに気づいた感慨を表す。

ふぢなみ:藤の花房が風に揺れるさまを波に見立てた語。藤の花
作者
田辺福麻呂
出典
万葉集
前の歌
梅の花咲き散る園に我れ行かむ 君が使を片待ちがてら
次の歌
明日の日の布勢の浦廻の藤波に けだし来鳴かず散らしてむかも