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明日の日の布勢の浦廻の藤波に
けだし来鳴かず散らしてむかも

歌の意味
明日訪れる布勢の浦辺の藤の花に、ほととぎすはもしかすると来て鳴かないまま、花を散らしてしまうのではないだろうか。
鑑賞
巻第十八 4043

詞書は前の歌に続き「時に、明日布勢の水海に遊覧せむと期し、仍りて懐を述べて各作る歌」
 明日見に行く布勢の浦の藤の花に、ほととぎすが来て鳴かないまま花が散ってしまうのではないかと案じる歌である。前歌で福麻呂がほととぎすの季節が近いと詠んだのに和し、せっかくの遊覧で客にほととぎすの声を聞かせたいという主人の気遣いが表れている。
 作者の大伴家持は大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされ、本巻は家持の越中時代の歌日誌の性格をもつ。
 左注に「右の一首は大伴宿禰家持和ふ」とあり、続けて「前の件の十首の歌は二十四日の宴に作る」と記されている。原文には初句について「一頭に云ふ、霍公鳥」という異伝の注記があるが、歌の本文ではないため除き、本文の「明日の日の」に従った。

 初句「明日の日の」翌日の遊覧を指し、詞書の「明日布勢の水海に遊覧せむ」と対応する。異伝の「霍公鳥」によれば、鳥への呼びかけで始まる形になる。
 二句「布勢の浦廻の」本巻の第四千三十六首以来の布勢の浦を受け、その入り組んだ浦辺をいう。
 三句「藤波に」前歌の「藤波の」をそのまま受けて和している。前歌が咲き進む藤を詠んだのに対し、こちらは散る藤を案じており、咲くと散るの対照をなす。
 四句「けだし来鳴かず」「けだし」はもしかするとの意。ほととぎすが来ても鳴かないのではないかという心配を表す。
 結句「散らしてむかも」「て」は強意、「む」は推量、「かも」は疑問を含む詠嘆である。鳴かずに花だけを散らしてしまうのではと、明日を気遣う心で結ぶ。

ふぢなみ:藤の花房が風に揺れるさまを波に見立てた語。藤の花
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
藤波の咲き行く見れば霍公鳥 鳴くべき時に近づきにけり
次の歌
浜辺より我が打ち行かば海辺より 迎へも来ぬか海人の釣舟