沖辺より満ち来る潮のいや増しに
我が思ふ君が御船かもかれ
- 歌の意味
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沖の方から満ちてくる潮のように、いよいよ深く私が思うあなたの御船なのだろうか、あれは。
- 鑑賞
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巻第十八 4045
詞書は前の歌に続き「二十五日、布勢の水海に往く道中、馬上にて口号する二首」
沖から満ちてくる潮のようにいよいよ増して慕わしく思うあなたの船なのか、あれは、と海上の船を見つけて詠む。「君」は舟で先に向かった客人の福麻呂を指すとみる説が有力で、遊覧の道中に客を思う心を詠んだものと考えられる。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされ、本巻は家持の越中時代の歌日誌の性格をもつ。題詞と左注には作者名が記されていないが、前後の配列から家持の作とされている。
初句「沖辺より」前歌の「海辺より」を受けて、さらに遠い沖の方を示す。前歌の浜辺、海辺から沖辺へと、視線が遠くへ移っていく。
二句「満ち来る潮の」初句からここまでが序詞で、潮が満ちてくることから三句の「いや増しに」を導く。
三句「いや増しに」いよいよ増しての意で、思いが深まるさまをいう。本巻の第四千九十三首にも「寄する白波いや増しに」とあり、波や潮の高まりに心の高まりを重ねる表現が本巻に見られる。
四句「我が思ふ君が」「我が思ふ」は君にかかり、慕わしく思うあなたの意となる。
結句「御船かもかれ」「かも」は疑問を含む詠嘆、「かれ」はあれの意。「御船かも」で切って「かれ」を添えた倒置の形で、遠くの船を指さすような臨場感がある。
おきへ:沖の方
かれ:あれ。遠くのものを指す代名詞
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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浜辺より我が打ち行かば海辺より 迎へも来ぬか海人の釣舟
- 次の歌
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神さぶる垂姫の崎漕ぎ廻り 見れども飽かずいかに我れせむ