可敝流廻の道行かむ日は五幡の
坂に袖振れ我れをし思はば
- 歌の意味
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可敝流のあたりの道を行く日には、五幡の坂で袖を振ってくれ。私のことを思ってくれるのならば。
- 鑑賞
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巻第十八 4055
詞書は前の歌に続き「掾久米朝臣広縄の館にて、田辺史福麻呂を饗する宴の歌四首」
都へ帰る道で可敝流のあたりを通る日には、五幡の坂で袖を振ってくれ、私のことを思うならと、旅立つ福麻呂に別れを告げる歌である。越中から越前へ向かう道筋の地名を挙げて、別れた後も自分を思ってほしいと願い、送別の宴を締めくくっている。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされ、本巻は家持の越中時代の歌日誌の性格をもつ。
左注に「右の二首は大伴宿禰家持」とあり、続けて「前の件の歌は二十六日に作る」と記されている。
初句「可敝流廻の」可敝流は越前国の鹿蒜(現在の福井県南越前町)のあたりで、「帰る」の意を響かせている。都へ帰る道であることを地名に託している。
二句「道行かむ日は」「む」は婉曲の助動詞で、その道を行くであろう日にはの意。
三句「五幡の」五幡は越前国の地名で、現在の福井県敦賀市にある。敦賀湾に臨む坂がある。
四句「坂に袖振れ」袖を振るのは別れを惜しみ、相手を思う心を示す動作である。命令形で、ここで四句切れとなる。
結句「我れをし思はば」「し」は強意の副助詞で、未然形+ばの仮定条件である。倒置の形で、袖を振ってほしい理由を添えて結ぶ。巻頭の第四千三十二首で福麻呂が「見て帰り来む」と詠んだ「帰る」が、ここでは都への帰り道として詠まれ、福麻呂を迎えて送る一連が閉じられている。
かへるみ:越前国の鹿蒜のあたり。現在の福井県南越前町。「帰る」の意を響かせる
いつはた:越前国の地名。現在の福井県敦賀市
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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霍公鳥こよ鳴き渡れ燈火を 月夜になそへその影も見む
- 次の歌
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堀江には玉敷かましを大君を 御船漕がむとかねて知りせば