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堀江には玉敷かましを大君を
御船漕がむとかねて知りせば

歌の意味
堀江には玉を敷き詰めておいたものを。大君の御船をお漕ぎ申し上げると、前もって知っていたならば。
鑑賞
巻第十八 4056

詞書「太上皇の難波宮に御在しし時の歌七首[清足姫天皇なり]」「左大臣橘宿禰の歌一首」
 大君が御船で堀江にお出ましになると前もって知っていたなら、堀江に玉を敷き詰めてお迎えしたものをと詠む。太上天皇の行幸を迎えた左大臣が、十分なもてなしができなかったと謙遜しつつ、行幸の喜びと敬意を述べた歌である。
 作者の橘諸兄は美努王と県犬養三千代の子で、初め葛城王と称し、のちに臣籍に下って橘の姓を名乗った。このときは左大臣として政治の中心にあった。
 太上天皇(元正天皇)が難波宮に滞在したのは天平十六年(744)のこととされる。左注によれば、この歌と次歌は、御船で堀江を遡って遊宴した日の左大臣の奏上歌と御製である。これらの七首は、越中を訪れた田辺福麻呂が伝え誦したものと考えられている。

 初句「堀江には」堀江は難波の地に開削された水路で、現在の大阪市中心部を流れる大川にあたるとされる。
 二句「玉敷かましを」「まし」は反実仮想の助動詞で、結句の「せば」と呼応する。玉を敷いて美しく整えておいたものを、の意となる。次歌の第四千五十七首の御製がこの「玉敷かましを」を受けて答えている。
 三句「大君を」太上天皇を指す。敬意をこめて大君と呼ぶ。
 四句「御船漕がむと」大君の御船を漕いでお運びすることをいう。
 結句「かねて知りせば」「せ」は過去の助動詞「き」の未然形で、「ば」とともに、前もって知っていたならばという反実の仮定を表す。二句の「まし」と組んで「せば〜まし」の構文をなし、倒置の形で結んでいる。

ほりえ:難波の地に開削された水路
しく:敷く。一面に広げて並べる
作者
橘諸兄
出典
万葉集
前の歌
可敝流廻の道行かむ日は五幡の 坂に袖振れ我れをし思はば
次の歌
玉敷かず君が悔いて言ふ堀江には 玉敷き満てて継ぎて通はむ