月見れば同じ国なり山こそば
君があたりを隔てたりけれ
- 歌の意味
-
月を見ると、あなたと私は同じ国にいるのだ。山こそが、あなたのいるあたりを隔てているのだった。
- 鑑賞
-
巻第十八 4073
詞書「越前国の掾大伴宿禰池主の来贈せる歌三首」「古人の云へる」
同じ月を見ているのだから同じ国にいるようなもので、山だけがあなたのあたりを隔てているのだと詠む。越前に移った池主が、越中の家持に宛てた手紙に添えた歌で、離れていても心は近いことを、月と山との対比で表している。
作者の大伴池主は大伴氏の一族で、家持が越中守であったころ越中の掾として仕え、家持と多くの歌や書簡を交わした。このときは越前国の掾に転じていた。
添えられた書簡には、三月十四日に深見村に着き、北の越中の方を望んで常に家持の人柄をしのんでいること、近くに来たためにかえって恋しさが増したこと、膝を交えて語り合う日はまだ定まらず、生き別れの悲しみは言葉にならないことが記され、三月十五日の日付がある。天平二十一年(749)の作である。「古人の云へる」とあるように古歌を借りた歌で、巻第十一の第二千四百二十首に、柿本人麻呂歌集の歌として「月見れば国は同じぞ山へなり」と始まる類想の歌がある。
初句「月見れば」已然形+ばで、月を見ると、の意。離れた二人が同じ月を見ているという発想である。
二句「同じ国なり」月を共有することで同じ国にいるとする。ここで二句切れとなる。
三句「山こそば」「こそ」は係助詞、「ば」は強意で、結句の「けれ」と係り結びをなす。月と山とが対比され、月はつなぐもの、山は隔てるものとされている。
四句「君があたりを」「君」は家持を指す。あなたのいるあたりを、の意である。
結句「隔てたりけれ」「けれ」は詠嘆の助動詞「けり」の已然形で、「こそ」の結びである。家持の返歌の第四千七十六首は「月見れば同じき里を心隔てつ」とこの歌の言葉を受けて答えており、贈答の対応が明確である。
ふかみむら:深見村。加賀の地名で、現在の石川県河北郡津幡町のあたり。当時は越前国に属した
- 作者
-
大伴池主
- 出典
-
万葉集
- 前の歌
-
ぬばたまの夜渡る月を幾夜経と 数みつつ妹は我れ待つらむぞ
- 次の歌
-
桜花今ぞ盛りと人は言へど 我れは寂しも君としあらねば