我が背子が古き垣内の桜花
いまだ含めり一目見に来ね
- 歌の意味
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あなたの以前の屋敷の庭の桜の花は、まだつぼみのままだ。一目見に来てくれ。
- 鑑賞
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巻第十八 4077
詞書は前の歌に続き「越中国守大伴家持の報へ贈る歌四首」「属目して思ひを発すに答へ、兼ねて遷任せる旧宅の西北の隅の桜樹を詠みて云ふ」
あなたが以前住んでいた屋敷の桜はまだつぼみのままだから、一目見に来てほしいと詠む。池主の第四千七十四首に答えた歌で、越中にいたころの池主の旧宅の桜を詠み、昔を思い出させながら再会を誘っている。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされ、本巻は家持の越中時代の歌日誌の性格をもつ。
初句「我が背子が」「背子」は男性を親しんで呼ぶ語で、ここでは池主を指す。
二句「古き垣内の」「垣内」は垣根で囲まれた屋敷の内をいう。池主が越前に移る前に住んでいた越中の旧宅である。
三句「桜花」池主の第四千七十四首の初句「桜花」をそのまま受け、贈答の対応を示している。
四句「いまだ含めり」「含む」は花がつぼみの状態であること。池主の「今ぞ盛りと」に対し、越中の桜はまだつぼみだと反転させ、だから今から来ても間に合うと誘っている。ここで四句切れとなる。
結句「一目見に来ね」「ね」は願望の終助詞で、一目見に来てほしいの意。池主の「君としあらねば」という寂しさに、来れば会えると答えている。
せこ:背子。男性を親しんで呼ぶ語
かきつ:垣内。垣根で囲まれた屋敷の内
ふふむ:花がつぼみのままである
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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あしひきの山はなくもが月見れば 同じき里を心隔てつ
- 次の歌
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恋ふといふはえも名付けたり言ふすべの たづきもなきは我が身なりけり