灯火の光りに見ゆるさ百合花
ゆりも逢はむと思ひそめてき
- 歌の意味
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灯火の光の中に見える百合の花、その「ゆり」という名のように、後々にもまた会おうと思い始めたことだ。
- 鑑賞
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巻第十八 4087
詞書は前の歌に続き「同じ月の九日、諸僚、少目秦伊美吉石竹の館に会ひて飲宴す。時に主人、百合の花縵三枚を造りて豆器に畳ね置き、賓客に捧げ贈る。各この縵を賦して作る三首」
灯火の光に見える百合の花の名のように、後々もまた会おうと思い始めたと詠む。百合の髪飾りに寄せて、今日の宴の楽しさと、これからも親しく交わりたいという願いを述べ、主人と一座への親愛を示している。
作者の内蔵縄麻呂は越中国の介で、国守家持の次官として仕えた。
左注に「右の一首は介内蔵伊美吉縄麻呂」とある。次歌の第四千八十八首で家持がこの歌の三句と四句を受けて和している。
初句「灯火の」前歌の「油火の」を言い換えた初句で、同じ夜の宴の灯火を詠む。
二句「光りに見ゆる」前歌の二句とまったく同じ句で、二首が対をなしている。
三句「さ百合花」初句からここまでが序詞で、「ゆり」の同音から四句の「ゆり」を導く。
四句「ゆりも逢はむと」「ゆり」は後、のちの意。百合の名にかけて、後にもまた会おうという思いを表す。次歌の第四千八十八首も同じ「さ百合花ゆりも逢はむと」を用いて応じている。
結句「思ひそめてき」「そむ」は〜し始める、「き」は過去の助動詞で、思い始めたことだと、心に生まれた思いを確かめて結ぶ。
ゆり:後。のち。これから先
- 作者
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内蔵縄麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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油火の光りに見ゆる吾がかづら さ百合の花の笑まはしきかも
- 次の歌
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さ百合花ゆりも逢はむと思へこそ 今のまさかもうるはしみすれ