- 歌の意味
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ほととぎすがひどく憎らしいのは、橘の花が散る時に来て鳴き響かせることだ。
- 鑑賞
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巻第十八 4092
詞書は前の歌に続き「独り幄の裏に居て、遥かに霍公鳥の喧くを聞きて作る歌一首[并せて短歌]」「反歌」
ほととぎすがひどく憎らしいのは、橘の花の散る時に来て鳴き立てることだと詠む。愛するほととぎすをあえて憎らしいと言い、花を散らすかのように鳴くことを恨む表現で、かえってほととぎすと橘への深い愛着を示している。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされ、本巻は家持の越中時代の歌日誌の性格をもつ。
左注に「右の四首は十日に大伴宿禰家持作る」とある。
初句「霍公鳥」反歌三首のうち、この歌だけがほととぎすを初句に置き、呼びかけるように歌い起こしている。
二句「いとねたけくは」「ねたし」は憎らしい、しゃくだの意で、「ねたけく」はそのク語法である。ひどく憎らしいことは、の意となる。
三句「橘の」初夏の花である橘を詠む。前歌の卯の花から橘へと、花が移っている。
四句「花散る時に」橘の花が散る時に、の意。本巻の第四千四十三首で家持がほととぎすが鳴かずに藤を散らすのを案じたのと同じく、花を散らす鳥としてのほととぎすを詠んでいる。
結句「来鳴き響むる」「響む」は声を響かせる意で、連体形で結んで詠嘆の余情を残す。
とよむ:声を響かせる。鳴り響く
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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卯の花のともにし鳴けば霍公鳥 いやめづらしも名告り鳴くなへ
- 次の歌
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阿尾の浦に寄する白波いや増しに 立ちしき寄せ来東風をいたみかも