橘は花にも実にも見つれども
いや時じくになほし見が欲し
- 歌の意味
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橘は、花の時にも実の時にも見てきたけれども、いよいよ季節を問わず、やはりいつでも見ていたいものだ。
- 鑑賞
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巻第十八 4112
詞書は前の歌に続き「橘の歌一首[并せて短歌]」「反歌一首」
橘は花の時も実の時も見てきたが、季節を問わずいつまでも見ていたいと詠む。橘の由来と四季の美しさをたたえた長歌に添えた反歌で、いつも変わらず美しい橘への尽きない愛着を述べている。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされ、本巻は家持の越中時代の歌日誌の性格をもつ。
左注に「閏五月二十三日に、大伴宿禰家持作る」とある。長歌では、垂仁天皇の代に田道間守が常世の国から「時じくのかくの木の実」をもたらしたという伝説が詠まれている。橘の姓をもつ左大臣橘諸兄をたたえる意をこめたとみる説もあり、本巻の第四千五十八首から本巻の第四千六十四首の橘の歌群とも響き合っている。
初句「橘は」橘を主題として掲げる。本巻の第四千六十四首の「大君は常磐にまさむ橘の」と同じく、橘を常緑で変わらないものとしてたたえる。
二句「花にも実にも」花の時期と実の時期の両方を挙げ、長歌で詠まれた橘の四季の姿をまとめている。
三句「見つれども」「つれ」は完了の助動詞「つ」の已然形で、見てきたけれどもの意となる。
四句「いや時じくに」「時じく」は時を定めない、いつもの意。長歌の「時じくのかくの木の実」を受けている。
結句「なほし見が欲し」「なほし」はやはり、「見が欲し」は見たいの意である。尽きることのない思いを込めて結ぶ。
かくのこのみ:香の木の実。橘の実の古い呼び名
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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左夫流子が斎きし殿に鈴懸けぬ 駅馬下れり里もとどろに
- 次の歌
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なでしこが花見るごとに娘子らが 笑まひのにほひ思ほゆるかも