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縦さにもかにも横さも奴とぞ
我れはありける主の殿戸に

歌の意味
縦から見ても横から見ても、どのようにしても、私は下僕なのであった。ご主人様の御殿の戸口で。
鑑賞
巻第十八 4132

詞書「更に来贈せる歌二首」
 縦から見ても横から見ても、どうあっても私はご主人の御殿の戸口に仕える下僕なのだと詠む。前の戯れの歌に続いて池主が再び贈った歌で、家持を主人、自分を下僕と見立て、親しい間柄ならではの戯れの調子でへりくだってみせている。
 作者の大伴池主は大伴氏の一族で、家持が越中守であったころ越中の掾として仕え、家持と多くの歌や書簡を交わした。このときは越前国の掾に転じていた。
 添えられた書簡には、駅使を迎える用務で十二月十五日に加賀郡の境まで来たこと、射水の郷が面影に浮かび、恋しい思いが深見の村に結ぼれること、先の手紙がかえって疑いを招いたかと案じること、針袋の歌を口ずさんで旅の憂いを慰め、陶然として日を過ごしていることが記されている。天平勝宝元年(749)十二月十五日の日付で、自らを「徴物下司」、家持を「不伏使君」と戯れに呼んでいる。

 初句「縦さにも」縦の方向からも、の意である。
 二句「かにも横さも」「かにも」はあのようにもの意とされ、横からもとあわせて、どのようにしてもの意となる。
 三句「奴とぞ」「奴」は召使い、下僕の意。「ぞ」は係助詞で、四句の「ける」と係り結びをなす。家持の第四千八十二首の「鄙の奴に」と同じく、自らを奴としてへりくだる表現である。
 四句「我れはありける」「ける」は詠嘆の助動詞「けり」の連体形で、「ぞ」の結びである。ここで四句切れとなる。
 結句「主の殿戸に」「主」は家持を指し、御殿の戸口でと、下僕の居場所を示して結ぶ。

やつこ:奴。召使い。下僕
とのど:御殿の戸口
ぬし:主人
作者
大伴池主
出典
万葉集
前の歌
鶏が鳴く東をさしてふさへしに 行かむと思へどよしもさねなし
次の歌
針袋これは賜りぬすり袋 今は得てしか翁さびせむ