白玉の見が欲し君を見ず久に
鄙にし居れば生けるともなし
- 歌の意味
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白玉のようにいつも見ていたい母上に久しく会わず、遠い田舎に住んでいるので、生きている心地もしない。
- 鑑賞
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巻第十九 4170
詞書は前の歌に続き「家婦の京に在す尊母に贈らむために誂へらえて作る歌一首并せて短歌」反歌一首
家持が妻の坂上大嬢に頼まれ、都にいる大嬢の母坂上郎女に贈るために代作した長歌の反歌である。真珠のようにいつも見ていたい母に久しく会えず、鄙の地にいるので生きている心地もしないと、娘として母を慕う心を詠んでいる。
長歌では、母の言葉を朝夕に聞けない寂しさや、直接対面する日まで松や柏のように栄えていてほしいという願いを述べており、反歌はその思慕を凝縮している。越中に下った大嬢と、都に残った母との離別の情が、家持の筆によって表されている。
作者の大伴家持は、大伴旅人の子で、越中守として越中国府に赴任していた。妻の坂上大嬢は叔母坂上郎女の娘で、このころ越中に下って家持とともに暮らしていた。
初句「白玉の」は、真珠のように美しく大切なものの意で、「見が欲し」を導く比喩となっている。
二句「見が欲し君を」の「見が欲し」はいつも見ていたいの意で、「君」は母坂上郎女を指す。
三句「見ず久に」は、会わないまま久しくなっての意で、離別の時の長さを示している。
四句「鄙にし居れば」の「鄙」は都から遠く離れた地方をいい、「し」は強意で、越中にいる身の上を強調している。
結句「生けるともなし」の「生けるとも」は生きている張り合い、生きた心地の意とされ、それすらないと深い寂しさを訴えて結んでいる。
しらたま:真珠
ひな:都から遠く離れた地方、田舎
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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毎年に来鳴くものゆゑ霍公鳥 聞けば偲はく逢はぬ日を多み
- 次の歌
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常人も起きつつ聞くぞ霍公鳥 この暁に来鳴く初声