- 歌の意味
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ほととぎすがやって来て鳴き声を響かせたら、せめて庭の草を取って迎えよう。花橘を庭に植えないままでいるので。
- 鑑賞
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巻第十九 4172
詞書は前の歌に続き「二十四日は立夏四月の節に応れり。これによりて二十三日の暮に、忽ちに霍公鳥の暁に喧かむ声を思ひて作る歌二首」
立夏を前にほととぎすの来訪を思った二首目で、ほととぎすが来て鳴き響かせたら庭の草を取ろう、花橘を庭に植えていないのだから、と詠んでいる。ほととぎすは花橘を好んで訪れる鳥とされたため、橘のない庭でせめて草を取って迎えようという心と解されるが、解釈には諸説がある。
前歌が初声への期待を詠んだのに対し、この歌はほととぎすを迎える庭の準備へと関心を移し、待ち受ける心をより具体的に表している。
作者の大伴家持は、大納言大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として越中国府(現在の富山県高岡市伏木)に赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされる奈良時代を代表する歌人である。
初句「霍公鳥」は、待ち望む鳥の名を冒頭に掲げ、前歌の三句を受けている。
二句「来鳴き響めば」の「響む」は鳴き声を響かせる意で、「ば」は仮定条件を表している。
三句「草取らむ」の「む」は意志を表し、庭の草を取ろうとする心づもりを示して、ここで切れる三句切れとなっている。
四句「花橘を」は、ほととぎすが好むとされる花の咲いた橘を示し、下の句で庭にそれがないことを述べている。
結句「宿には植ゑずて」は、庭には植えないでいての意で、三句の理由を倒置的に添えて結んでいる。
はなたちばな:花の咲いた橘
とよむ:鳴き声を響かせる
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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常人も起きつつ聞くぞ霍公鳥 この暁に来鳴く初声
- 次の歌
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妹を見ず越の国辺に年経れば 我が心どのなぐる日もなし