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藤波の影なす海の底清み
沈く石をも玉とぞ我が見る

歌の意味
藤の花が影を映している海の底が澄んでいるので、水底に沈んでいる石までも、私には玉のように見える。
鑑賞
巻第十九 4199

詞書「十二日、布勢の水海に遊覧するに、多胡の湾に船泊てして藤の花を望み見て、各懐を述べて作る歌四首」
 四月十二日、布勢の水海に遊覧して多胡の浦に船を泊め、藤の花を眺めたときの四首の一首目である。藤の花が影を落とす湖水の底が澄みきっているので、沈んでいる石までも玉のように美しく見えると、水面と水底の清らかな美しさを讃えている。
 左注に「守大伴宿祢家持」とあり、国守の家持がまず一首を詠み、国司の同僚たちが次々に唱和する形となっている。多胡の浦は布勢の水海の入り江で、現在の富山県氷見市下田子のあたりとされ、藤の名所として今に伝えられている。
 作者の大伴家持は、大納言大伴旅人の子で、天平十八年(746)から越中守として越中国府(現在の富山県高岡市伏木)に赴任していた。万葉集の編纂に深く関わったとされる奈良時代を代表する歌人である。

 初句「藤波の」は、風に揺れる藤の花房を波に見立てた語で、湖畔の藤を示している。
 二句「影なす海の」は、藤の花が影を映す湖面をいい、「海」はここでは布勢の水海を指している。
 三句「底清み」の「〜み」は原因を表し、水底が澄んでいるのでの意で、以下の見立ての理由を示している。
 四句「沈く石をも」の「沈く」は水底に沈んで見える意で、「も」はそのような石までもという強調を表している。
 結句「玉とぞ我が見る」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「見る」で結ぶ係り結びで、石を玉に見立てる驚きを強調して結んでいる。

しづく:水の底に沈んで見える
たま:宝玉、真珠
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
つれもなく離れにしものと人は言へど 逢はぬ日まねみ思ひぞ我がする
次の歌
多胡の浦の底さへにほふ藤波を かざして行かむ見ぬ人のため