天雲の行き帰りなむものゆゑに
思ひぞ我がする別れ悲しみ
- 歌の意味
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天の雲のように行ってはまた帰って来るものなのに、私は物思いをしている。別れが悲しくて。
- 鑑賞
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巻第十九 4242
詞書「大納言藤原家にして入唐使等を餞する宴の日の歌一首[即ち主人卿作る]」
大納言藤原仲麻呂の家で遣唐使を送る宴を開いた日に、主人の仲麻呂が詠んだ歌で、天の雲が行き帰るように使節たちは必ず帰って来るのに、それでも別れが悲しくて物思いをしていると詠んでいる。帰国を信じつつも別れを惜しむ、送別の宴の主人としての挨拶の心が表れている。
藤原清河を大使とする遣唐使は天平勝宝二年(750)に任命され、同四年(752)に難波を出航した。左注によれば、越中の官人高安種麻呂が伝え誦んだものである。
作者の藤原仲麻呂は、藤原武智麻呂の子で、光明皇太后の信任を得て権勢を振るい、のちに恵美押勝の名を賜った。このころは大納言であった。
初句「天雲の」は、天の雲を示し、雲が行き帰るように、という比喩として二句を導いている。
二句「行き帰りなむ」の「なむ」は強い推量で、使節たちが必ず往復して帰って来ることを確信している。
三句「ものゆゑに」は逆接で、〜であるのにの意となり、確信と悲しみの対比を準備している。
四句「思ひぞ我がする」は、係助詞「ぞ」を受けて連体形「する」で結ぶ係り結びで、それでも物思いをしているのだと強調し、ここで切れる四句切れとなっている。
結句「別れ悲しみ」の「み」は原因を表し、別れが悲しいのでと、倒置によって理由を最後に示して結んでいる。
あまくも:空の雲
- 作者
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藤原仲麻呂
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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春日野に斎く三諸の梅の花 栄えてあり待て帰りくるまで
- 次の歌
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住吉に斎く祝が神言と 行くとも来とも船は早けむ