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十月時雨の常か我が背子が
宿の黄葉散りぬべく見ゆ

歌の意味
十月の時雨が降るのはいつものことなのか、あなたの家の庭の紅葉は今にも散りそうに見える。
鑑賞
巻第十九 4259

詞書は前の歌に続き「十月二十二日、左大弁紀飯麻呂朝臣の家にして宴する歌三首」
 紀飯麻呂の家の宴で、家持が庭の梨の紅葉を見て詠んだ歌で、十月に時雨が降るのはいつものことなのか、あなたの家の庭の紅葉は今にも散りそうに見えると、移ろいゆく秋の景を惜しんでいる。
 左注に「右の一首は、少納言大伴宿祢家持、時に当たりて梨の黄葉を矚て、この歌を作る」とある。前の二首が伝誦の古歌であったのに対し、この歌は宴の場の景をとらえた即興の挨拶の歌で、主人の庭を讃えている。
 作者の大伴家持は、大納言大伴旅人の子で、天平勝宝三年(751)に少納言に任じられて越中から平城京に戻り、都の官人として宮廷の宴にも列していた。万葉集の編纂に深く関わったとされる歌人である。

 初句「十月」は「かむなづき」と読み、陰暦十月を示して時雨の季節を定めている。
 二句「時雨の常か」の「常」はいつものこと、「か」は疑問で、時雨が降るのは常のことなのかと問い、ここで切れる二句切れとなっている。
 三句「我が背子が」は、宴の主人である紀飯麻呂を親しみを込めて指している。
 四句「宿の黄葉」は、主人の家の庭の紅葉で、左注によれば梨の紅葉である。
 結句「散りぬべく見ゆ」の「ぬべし」は今にも〜しそうだの意で、散りそうな紅葉への惜別を表して結んでいる。

かむなづき:陰暦十月
もみちば:紅葉した葉
しぐれ:晩秋から初冬にかけて降ったりやんだりする雨
作者
大伴家持
出典
万葉集
前の歌
明日香川川門を清み後れ居て 恋ふれば都いや遠そきぬ
次の歌
大君は神にしませば赤駒の 腹這ふ田居を都と成しつ