年月は新た新たに相見れど
我が思ふ君は飽き足らぬかも
- 歌の意味
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年月が新しく改まるたびにお会いしているけれども、私の慕うあなたには、いくらお会いしても飽き足りることがない。
- 鑑賞
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巻第二十 雑歌 4299
詞書は前の歌に続き「六年正月四日、氏人等賀きて少納言大伴宿禰家持の宅に集ひて宴飲する歌三首」
年月が改まるたびに会っているが、慕わしいあなたには見飽きることがないと、主人の家持を讃えた一首である。新年の宴にふさわしく「新た新たに」と年の改まりを重ね、主人への親愛を率直に述べている。この歌にも、古い歌か今の作か未詳であるとの注記が添えられている。
作者の大伴村上は大伴氏の一族で、この時は民部少丞であった。
初句「年月は」は年や月を主題として示し、前歌の結句「年の緒長く」を受けるように時の流れを詠み出している。
二句「新た新たに」は語を重ねて、改まるたびごとにの意を強めている。
三句「相見れど」は逆接で、会ってはいるけれどもと下の句へつなぐ。
四句「我が思ふ君は」は慕わしく思うあなたはの意で、主人家持を指す。
結句「飽き足らぬかも」の「かも」は詠嘆で、いくら会っても満ち足りないと結ぶ。
あきだる:十分に満足する
- 作者
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大伴村上
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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霜の上に霰た走りいやましに 我れは参ゐ来む年の緒長く
- 次の歌
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霞立つ春の初めを今日のごと 見むと思へば楽しとぞ思ふ