印南野の赤ら柏は時はあれど
君を我が思ふ時はさねなし
- 歌の意味
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印南野の赤ら柏には、それを献じる時節があるけれど、大君を私が思い申し上げる心には、時の定めなど決してない。
- 鑑賞
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巻第二十 雑歌 4301
詞書「七日、天皇、太上天皇、皇大后、東の常宮の南の大殿に在して肆宴する歌一首」
印南野の赤ら柏には時節があるが、大君を思う心には時の区切りがないと、変わらぬ忠誠を奏上した一首である。詞書によれば、天平勝宝六年正月七日、孝謙天皇、聖武太上天皇、光明皇太后が東の常宮の南の大殿で催した宴での歌である。赤ら柏は酒食を盛るのに用いられ、播磨の印南野から献上された品であり、播磨守である作者が任国の産物を引いて詠んだものである。左注には、古い歌か今の作か未詳であるとの注記がある。
作者の安宿王は長屋王の子で、母は藤原不比等の娘である。この時は播磨守であった。
初句「印南野の」は播磨国の印南郡に広がる野で、作者の任国の地名を詠み込んでいる。
二句「赤ら柏は」は赤みを帯びた柏の葉で、宮中の儀式に用いられた。
三句「時はあれど」は赤ら柏には用いる時節が定まっているけれどもの意で、逆接で下の句に転じる。
四句「君を我が思ふ」の「君」は天皇を指す。三句の「時」を五句で再び用い、対照を際立たせている。
結句「時はさねなし」の「さね」は打消を伴って決して、少しもの意を表し、思う心に時の限りはないと言い切って結ぶ。
あからがしは:赤みを帯びた柏の葉。食物を盛るのに用いた
- 作者
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安宿王
- 出典
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万葉集
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霞立つ春の初めを今日のごと 見むと思へば楽しとぞ思ふ
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山吹は撫でつつ生ほさむありつつも 君来ましつつかざしたりけり