我が背子が宿の山吹咲きてあらば
やまず通はむいや年の端に
- 歌の意味
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あなたの家の山吹が咲いているならば、絶えず通って行こう、毎年毎年。
- 鑑賞
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巻第二十 雑歌 4303
詞書は前の歌に続き「三月十九日、家持の庄の門の槻の樹の下にして宴飲する歌二首」
あなたの家の山吹が咲いているなら、毎年絶えず通って行こうと、前歌に答えた一首である。左注によれば、長谷が山吹の花を手折り酒壺を提げて訪れたので、家持がこれに和して作った。前歌が家持のために山吹を育てようと述べたのに対し、それなら毎年見に通おうと応じ、互いの親愛を確かめ合っている。
作者の大伴家持は大伴旅人の子で、この時は少納言であった。
初句「我が背子が」は親しい男性への呼びかけで、ここでは長谷を指す。
二句「宿の山吹」は前歌の初句「山吹は」を受け、長谷の家の山吹として詠み直している。
三句「咲きてあらば」は仮定条件で、咲いているならばの意である。
四句「やまず通はむ」の「む」は意志で、絶えず通おうという。前歌の「君来ましつつ」に対し、自分から通う側に立場を置き換えている。
結句「いや年の端に」は毎年毎年の意で、末長い交わりを願って結ぶ。
せこ:親しい男性を呼ぶ語
としのは:毎年
- 作者
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大伴家持
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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山吹は撫でつつ生ほさむありつつも 君来ましつつかざしたりけり
- 次の歌
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山吹の花の盛りにかくのごと 君を見まくは千年にもがも