千葉の野の児手柏のほほまれど
あやに愛しみ置きて誰が来ぬ
- 歌の意味
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千葉の野の児手柏の若葉がまだつぼんでいるように、まだ幼い娘であったけれど、ひどくいとしく思いながら、置いて来たのは誰なのか。ほかならぬ私だ。
- 鑑賞
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巻第二十 防人歌 4387
詞書は前の歌に続き「天平勝宝七歳乙未二月、相替りて筑紫の諸国に遣はさるる防人等が歌」
千葉の野の児手柏の葉がまだつぼんでいるように、まだ若いがいとしくてならない人を置いて来たのは誰かと、自らに問いかけた一首である。下総国から進上された歌の四首目である。置いて来たのは他ならぬ自分であると自嘲をこめ、別れの悔いを述べている。「野」を「ぬ」と記すのは東国の発音である。
作者の大田部足人は下総国千葉郡の防人で、詳しい伝は残らない。
初句「千葉の野の」は作者の故郷の野で、地名を詠み込んでいる。
二句「児手柏の」は葉が子どもの手のように見える柏の一種で、初句と二句が「ほほまれど」を導く序詞である。
三句「ほほまれど」はつぼんでいるけれどもの意で、まだ若く幼いことをたとえている。
四句「あやに愛しみ」はむしょうにいとしく思っての意である。
結句「置きて誰が来ぬ」は置いて来たのは誰かの意で、自分自身に問いかける形で悔いをこめて結ぶ。
このてかしは:葉の形が子どもの手に似た柏の一種
ほほむ:つぼむ。花や葉が開ききらない
- 作者
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大田部足人
- 出典
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万葉集
- 前の歌
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我が門の五本柳いつもいつも 母が恋すす業りましつしも
- 次の歌
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旅とへど真旅になりぬ家の妹が 着せし衣に垢付きにかり