鴬の鳴くなる声は昔にて
我が身一つのあらずもあるかな
- 歌の意味
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鴬の鳴いているらしい声は昔のままであるのに、我が身一つだけが、昔のようではなくなってしまったことだ。
- 鑑賞
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巻第三 春歌下 81
詞書「贈太政大臣あひ別れてのち、ある所にてその声を聞きてつかはしける」
鴬の声は昔と変わらないのに、我が身ひとつだけが昔のようではないと嘆いた歌である。変わらずに聞こえる声と、変わってしまった我が身の境遇とを対比させ、別れたのちの寂しさを表している。
詞書によれば、贈太政大臣と別れてのち、ある所でその声を聞いて贈ったものである。贈太政大臣は死後に太政大臣を贈られた藤原時平で、作者は時平の妻であった。鴬の声に、かつて連れ添った時平の声をなぞらえていると読める。
作者の「藤原顕忠朝臣母」は藤原顕忠の母である。藤原時平の妻で、名は伝わらない。子の顕忠は時平の次男で、のちに右大臣に至った。
古今和歌集の在原業平の「月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身ひとつはもとの身にして」が、我が身だけはもとのままと詠んだのに対し、本歌は我が身だけが昔のようでないと詠んでおり、趣向が反転している。
初句「鴬の」は、春を告げる鳥を示し、別れた人の声をなぞらえている。巻頭に鴬が置かれ、本巻の第百一首、第百三十一首にも鴬が詠まれる。巻末の第百四十六首も「我が身にしあれば」と我が身を嘆いて結ばれており、本巻は我が身を嘆く歌に始まり、我が身を嘆く歌で閉じる配列になっている。
二句「鳴くなる声は」の「なる」は音による推定で、鳴いているらしい声は、の意である。
三句「昔にて」は、昔のままで、の意で、声が以前と変わらないことを表す。本巻の第百二首の「花の色は昔ながらに」も、変わらないものと変わったものを対比させている。
四句「我が身一つの」は、我が身ひとつだけが、の意で、変わらない声に対して、変わってしまった我が身を示す。
結句「あらずもあるかな」は、昔のようではなくなってしまったことよ、の意で、「かな」は詠嘆を表す。
ぞうだいじやうだいじん:死後に贈られた太政大臣の位、ここでは藤原時平を指す
- 作者
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藤原顕忠母
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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ふりぬとていたくなわびそ春雨の ただにやむべきものならなくに
- 次の歌
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久しかれあだに散るなと桜花 かめに挿せれどうつろひにけり