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五月雨にながめくらせる月なれば
さやにも見えず雲隠れつつ

歌の意味
五月雨の長雨の中、もの思いにふけって日を暮らしている月なので、はっきりとも見えず、雲に隠れてばかりいる。
鑑賞
巻第四 夏歌 182

詞書「三条右大臣、少将に侍りける時、忍びに通ふ所侍りけるを、上の男ども五六人ばかり、五月の長雨少しやみて月朧なりけるに、酒たうべむとて押し入りて侍りけるを、少将はかれがたにて侍らざりければ、たちやすらひて、主出だせなど戯れ侍りければ」
 五月雨の中でもの思いに沈んで日を暮らしている月なので、はっきりとは見えず雲に隠れてばかりいると詠んだ歌である。朧月に自身をなぞらえ、少将の訪れが途絶えて沈みがちな身であるから、人前に出ることはできないとやんわり断っている。
 詞書によれば、三条右大臣藤原定方がまだ少将であったころ、ひそかに通う女の家があった。殿上人たちが五、六人ほど、五月の長雨が少しやんで月が朧であった夜に、酒を飲もうと押しかけたが、少将は通いが途絶えがちでその場にいなかった。人々はたたずんで、主人を出せなどと戯れたので、その家の女主人が詠んだものである。
 作者は「あるじの女」で、少将が忍んで通っていた家の女主人である。名は伝わらない。少将であった藤原定方は藤原高藤の子で、のちに右大臣に至り、三条右大臣と呼ばれた。

 初句「五月雨に」は、五月の長雨の中で、の意で、詞書の長雨のころを示している。
 二句「ながめくらせる」の「ながめ」は、「長雨」と、もの思いにふける意の「眺め」を掛けた掛詞である。「る」は存続の助動詞「り」の連体形で、もの思いをして暮らしている、の意である。
 三句「月なれば」は、月であるので、の意で、雲間の朧月に自身をなぞらえている。詞書の月朧なる夜に応じている。
 四句「さやにも見えず」は、はっきりとも見えない、の意で、人前に姿を見せられないことを表している。
 結句「雲隠れつつ」は、雲に隠れてばかりいる、の意で、「つつ」は反復を表す。朧な月の姿に、引きこもって人に会わない自身を重ねている。

ながむ:「長雨」と、もの思いにふける意の「眺む」を掛ける
うへのをのこ:殿上に仕える男たち、殿上人
かれがた:通いが途絶えがちなこと
たちやすらふ:たたずむ、ためらってその場にとどまる
出典
後撰和歌集
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