宇治山の紅葉を見ずは長月の
過ぎゆくひをも知らずぞあらまし
- 歌の意味
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宇治山の紅葉を見なかったら、九月の過ぎていく日々も、知らないままでいただろう。
- 鑑賞
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巻第七 秋歌下 440
詞書「長月のつごもりの日、紅葉に氷魚をつけておこせて侍りければ」
宇治山の紅葉を見なかったら、九月の過ぎていく日々に気づかずにいただろうと詠んだ歌である。贈られた紅葉に秋の終わりを知らされた思いを、贈り主への礼として表している。
詞書によれば、九月の晦日に、ある人が宇治山の紅葉に宇治川の氷魚を添えて送ってきたので詠んだものである。「ひを」に「日を」と「氷魚」を掛け、贈り物の紅葉と氷魚の両方を歌に詠み込んでいる。本巻の第四百三十八首から続く、秋の終わりを詠む歌である。
作者の「ちかぬがむすめ」は、千兼という人の娘である。伝は詳らかでない。
初句「宇治山の」は、山城の国の宇治にある山の、の意である。
二句「紅葉を見ずは」の「ずは」は、〜しなかったならば、の意で、紅葉を見なかったら、の意である。
三句「長月の」は、九月の、の意である。
四句「過ぎゆくひをも」の「ひを」は、「日を」と、宇治川でとれる鮎の稚魚の「氷魚」を掛けた掛詞である。
結句「知らずぞあらまし」の「まし」は反実仮想の助動詞で、二句の「ずは」と呼応し、知らずにいただろう、の意である。係助詞「ぞ」と連体形「まし」が係り結びをなしている。
ひを:「日を」と、宇治川などでとれる鮎の稚魚「氷魚」を掛ける
つごもり:月の最後の日、晦日
- 作者
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千兼女
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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思ひ出でて問ふにはあらじ秋果つる 色の限りを見するなるらん
- 次の歌
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長月の有明の月はありながら はかなく秋は過ぎぬべらなり