思ひやる心は常に通へども
逢坂の関越えずもあるかな
- 歌の意味
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あなたを思いやる心はいつも通っていくけれども、逢うという名をもつ逢坂の関を、越えられないでいることよ。
- 鑑賞
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巻第九 恋歌一 516
詞書「題しらず」
あなたを思う心はいつも通っていくのに、逢うという名をもつ逢坂の関を越えられない、と詠んだ歌である。心だけは相手のもとへ通いながら、実際に逢うことはかなわない嘆きを表している。
逢坂の関を逢うことの象徴とする趣向で、心は通っても身は逢えないという対比を示している。
作者の三統公忠は、平安時代中期の官人である。後撰和歌集に歌が採られているが、経歴の詳細は多く伝わらない。
初句「思ひやる」は、遠くから思いを寄せる、の意である。
二句「心は常に」は、心はいつも、の意である。
三句「通へども」は、通っていくけれども、の意で、「ども」は逆接の接続助詞である。
四句「逢坂の関」は、山城と近江の境にあった関で、「逢ふ」を名に含むため、恋の歌で逢うことにかけて詠まれる歌枕である。
結句「越えずもあるかな」の「かな」は詠嘆の終助詞で、越えられないでいることよ、の意である。
あふさか:山城と近江の境にあった関、「逢ふ」を名に含む歌枕
- 作者
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三統公忠
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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思ひ川絶えず流るる水の泡の うたかた人に逢はで消えめや
- 次の歌
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消え果てて止みぬばかりか年を経て 君をおもひのしるしなければ