思ひ川絶えず流るる水の泡の
うたかた人に逢はで消えめや
- 歌の意味
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思い川を絶えず流れる水の泡のように、かりそめにもあなたに逢わないままで、消えてしまうことがあろうか。
- 鑑賞
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巻第九 恋歌一 515
詞書「まかる所知らせず侍りけるころ、また相知りて侍りける男のもとより、日ごろ尋ねわびて失せにたるとなん思ひつると言へりければ」
思い川を絶えず流れる水の泡のように、あなたに逢わないままむなしく消えることなどあるだろうか、と詠んだ歌である。消えやすい泡にわが身をなぞらえながらも、逢わずには消えないと強く言い切っている。
詞書によれば、行き先を知らせずにいたころ、契りを交わした男から、何日も探しあぐねて死んでしまったのかと思ったと言ってきたので、それに答えた歌である。男の「失せにたる」という言葉を受けて、泡のように消えることはないと答えている。
作者の「伊勢」は藤原継蔭の娘である。宇多天皇の中宮温子に仕え、のちに宇多天皇の寵愛を受けた。古今和歌集時代を代表する女流歌人で、三十六歌仙の一人である。
初句「思ひ川」は、筑前の国の川とされる歌枕で、絶えることのない恋の思いを川にたとえている。
二句「絶えず流るる」は、絶えず流れる、の意で、思いが絶えないことを重ねている。
三句「水の泡の」は字余りで、水に浮かぶ泡の、の意である。初句からここまでが四句の「うたかた」を導く序詞となっている。
四句「うたかた人に」の「うたかた」は、水の泡の意と、かりそめにも、少しも、の意を掛けた掛詞である。
結句「逢はで消えめや」の「で」は打消しの接続助詞、「や」は反語で、逢わないで消えることがあろうか、消えはしない、の意である。「消え」は泡の縁語である。
おもひがは:筑前の国の川とされる歌枕、絶えない恋の思いを川にたとえる
うたかた:水の泡の意と、かりそめにもの意を掛ける
- 作者
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伊勢
- 出典
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後撰和歌集
- 前の歌
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人恋ふる心ばかりはそれながら 我は我にもあらぬなりけり
- 次の歌
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思ひやる心は常に通へども 逢坂の関越えずもあるかな